悩ましい元旦│母からの手紙を受け取ってショックに襲われる

日々のあれこれ

私はあまり行事に関心がないので、正月らしいなにかをやったことがない。

しかし、母はそうではなく、たいそうお正月をキチンと祝いたいタチ。

だから、去年かなり早くに、ふたり分のおせち料理を予約していた。

それも、母が入院した時点で、キャンセル済み。

お手数ですが、どれかをポチして → またお戻りください。とっても励みになります!

にほんブログ村 シニア日記ブログへ にほんブログ村 ライフスタイルブログ シンプルライフへ にほんブログ村 クラシックブログ ピアノへ

私にとっては、いつもと変わらない一日だ。

ただ、やはり母のことが気になる。

今日もまた、夕方病院へ手紙を届けに行った。

すると、受付のヒトが「これ、預かっています」と、封書を渡してくれた。

ああ、母からの手紙だった。

けれども、中を見て、やるせない思いに襲われた。

一筆箋1枚だけに、乱れた文字が並んでいたのだ。

それでも、

「春ちゃん、あけましておめでとうございます」と、はじまっていた。




そんなにしんどいことをしなくてもいいのに。

もう、これが限界なのか。

12月21日に書かれた手紙とは、打って変わって、衰えがあきらかだった。

たしかに、年越しはできた。

でも、ほんとうにこれでよかったのか?

しかも、これから胃ろう造設をしようとしている。

それは、ほんとうに、母にとっていいことなのだろうか?

ただし、母に、

「まだ生きていたいの?」と尋ねたら、

きっとまちがいなく、「そうよ」と答えるはず。

今日の手紙の末尾にも、

「今年もどうぞよろしくお願いいたします」と書かれている。

その「今年も生き延びる手段」として、胃ろうを選択したのだ。




いまは、鼻チューブ(経鼻胃管)をがんばってくれている。

胃ろうは、手術が必要だが、出来上がってしまえば、鼻チューブよりはるかに違和感が少ない。

口から食べたくなくて、それでも生きていたいなら、やむなく胃ろうなのだ。

主治医先生は、さいしょ経管栄養に反対で、だから、末梢点滴しかやっていただけなかった。

そこをムリヤリ、まず鼻チューブをお願いして……

ふう、だから、この手紙も読めたんだよ、元旦に。

そりゃね、痛くもしんどくもなく、ラクに生き長らえたらいいけど、う~ん、それがもはやできない。

もしかすると、胃ろう造設手術の結果は、母を苦しめる可能性が高い。

それが悩ましい。

でも、あえてその道を進むことにした。

私は、母が苦しむ姿を見ても、専門家の力を借りて、冷静に対応したい。

同じカテゴリーの、つづきはこちら
「ピンピンコロリ」になりそこなうと、こないなります
毎日、病院へ手紙を届けに行っている。 しかし、受付のヒトが事務的に受領するのみ。 以前は、週2回ほど洗濯物を受け取ることもあった。 だが、いまは、それもない。 お手数ですが、どれかをポチして → またお戻りください。...
同じカテゴリーの、前回はこちら
波乱万丈の一年が終わる│母はまだ生きている
なんだか、なにもしたくない。 ああ、うん、大晦日なんだよね、今日は。 母が入院してから、起床時刻がだんだん遅くなって、今日は7時だったかな。 やるべきことは、まず母への手紙。 お手数ですが、どれかをポチして → また...
タイトルとURLをコピーしました