さて、とうとう本番ですな、胃ろう造設。
母ちゃん絡みのことは、つい母の「前倒し癖」にしたがう。
K総合病院には「8時15分に行く」ということになっていたのに、8時には着いてしまった。
そしたら、受付が「8時15分からしかやらない」というので、私はキンドルで吉村昭「間宮林蔵」を読んで待つ。
当時、世界ではじめて樺太北端部を探索した林蔵も、老いては病に臥せっているのう。
定刻になったら、現世に戻って、まず入院費の支払い。
で、荷物を、私が病棟まで取りに行くつもりだったが、そこはホレ、極力外部の人間が入れないのよ。
ありがたいことに、1階まで、すべての荷物を、台車に乗せて看護師さんが降ろしてくれた。
ついで、車椅子に乗ったお母さまも降りてきた。
おう、顔の色つやもよく、元気そうな様子だ。
ただ、手術が不安で、昨夜はあまり眠れなかったという。
そりゃそうだ、このトシで手術はコタえるもんな。
さて、病院の外は非常に寒い。
母は、私が昨日持参して、手紙にも書いたとおり、パジャマの下に厚手の下着上下を着こみ、フリースジャケットを着て、ぶ厚い手袋をしていた。
その上から、私はさらに、登山用のダウンジャケットとダウンズボンを着せる。
コレ、マイナス20度でもOKなヤツ。
ぜんぶ着込んだら、母ちゃん、「あったかいあったかい!」と大喜び。
そのあと、病院駐車場からクルマを玄関まで持ってきて、荷物を積み込み、そして車椅子をゆっくり移動させた。
車椅子から助手席へ、自力で上がれるか心配だったが、いやいや、しっかりした足取りで難なく乗ってしまった。
わっ、人工栄養摂って、毎日リハビリしてたら、ここまで回復するんだ!
ほんとによかったねえ。
去年11月30日に入院して以来、はじめて外に出た母。
ひさびさに母といっしょにクルマに乗っているのが、なんだか信じられない。
母は不安そうながらも、まず私に、
「もう本当にお世話になりっぱなしで、ありがとうね」と何度もお礼を言ってくれる。
いやいや、苦痛な治療ばかりで、しんどいのは母ちゃんなんだから。
今日は、さすがの母も、心配と寝不足で、やや口調がゆったりしていたかね。
それでも、移動の車中では、会話がはずんで楽しかった。
しかし、このヒト、いつになっても認知症にならねーな。
私が手紙に書いた内容も、ぜんぶ覚えていて、なんの問題もない。
こういうヒトもおるんやな、とあらためて感心する。
なにやかや、ずっとおしゃべりをしているうちに、1時間10分でA病院に到着。
病院の車椅子を借りてきて、駐車場から病院の中まで母を運ぶ。
そういえば、父のことも、よく車椅子で運んだなあ、と懐かしく思い出した。
入院の手続きのあと、病棟へ向かう。
エレベーターでその階まで上がり、私が「ええと……」と詰所を探そうとしたら、
母ちゃん「Cの7だから、あっちよ」と、指差して教えてくれた。
ああ、はいはい。
もー、私が入院したほうがええんちゃう?