さて、今日は母との面会日。
いつもそうだが、面会の前って、じつは気が重い。
毎日手紙を届けていても、じっさいに母がどうなっているのか、それがわからん。
すでに胃ろうの手術も終わって、たぶんなにも問題ないはず。
だけど、まだ痛いんじゃないかとか、順調に栄養は摂れているかとか。
長い入院生活で、とうとう認知症になるんじゃないかとか。
わりと不安になる。
けれども、会ってみると、たいがい「いい意味で」予想を裏切られる。
今日もまた、私の予想は裏切られた。
病棟の小さいロビーで待っていたら、廊下の向こうから、母の声が響いてきた。
おう、元気そうだ。
マスクをしているので、顔の一部しかわからないが、色つやもよく、ややふっくらしている。
さかんにおしゃべりがつづくので、あ、だいじょうぶだな。
「昨日、抜糸したのよ。
S山先生がしてくれたの」と声をはずませている。
その感じでは、主治医先生とも良好なんだな、と思わせられた。
私「痛かったでしょ?」
「そうなの、やっぱりちょっと痛かった」
「かわいそうに。痛い目にばかりあって」
「胃ろうのところも、まだ痛いけど、ベッドのうえでリハビリもしてるのよ」
「すごいね! がんばっているね」
「ちょっとずつね。
胃ろうのところ、見る?」
おや、めずらしい、母ちゃんからこんなこと言うなんて。
私「どれどれ」
「あ、パジャマ上げたらいいだけよ」
上のパジャマをそっと持ち上げたら、
ほほう、真っ白でぷっくりしたおなかの真ん中に、胃ろうのボタンが見えた。
へええ、意外と小さいんだな!
ネットで見ていたら、いかにも「ご老体に施しました」みたいな画像が多かった。
だのに、色白でぽってりしたおなかに付いているボタンは、ちっとも胃ろうに見えない。
そして、照りのいい肌に囲まれていると、ぜんぜん痛そうにも見えないのだ。
う~ん、ほんまにコレ、老衰でっか?
昨日、S山先生は、抜糸をしながら、どんな気分だったかな。
S山先生が、あんなに延命を渋っていたのは、もう老衰の患者さんに苦痛を与えたくないからだった。
そのはずだ。
おこがましいけど、S山先生が、入院している老衰患者│母を回診しなかった理由なのだが。
まあ、どうせ長くないから、末梢点滴をいくらかやって、それで退院するわけでしょ?
そのあと、自宅で「お迎え」を待つ。
そういう経過だとわかっている患者さんには、やっぱり足が向かないんじゃないかなあって。
ところが、「延命してください!」ってな患者は、母ちゃんが第1号でさ。
S山先生は、私と長い話合いのあと、ちゃんと母の回診に来てくれるようになった。
そして、胃ろう造設も外部病院でやって、さあ、一週間たって抜糸も終わった。
お医者さんに対して、僭越かもしれないけど、順調に回復して「ツヤツヤして張りのいいおなか」の抜糸って、それは「悪くない気もち」じゃなかろうか、と思ったよ。