「生きていてくれて、ありがとう」と言いたくなった理由

日々のあれこれ

このごろ、母への手紙で、ネタ切れ気味だ。

胃ろう造設から2週間少し経って、たぶんもう痛みもないだろう。

胃ろうの前は、約1ヵ月鼻チューブで栄養だったけど、それが胃ろうに変わった。

人口栄養そのものは慣れているし、だったら胃ろうのほうが、違和感もなくてずっとラクなはず。

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と、わりあい安心しているので、余計にネタを思いつかない。

でも手紙は、母が楽しみにしているだけに、それなりに工夫して書いている。

・母が何度読んでも、いい気分になれる内容にする。
・過去、母が私にしてくれて、うれしかったこととか。
・母について、コレはいいなあ、いいところだなあ、というエピソードとか。
・母が、がんばっていたこととか。

う~ん、と考えていて、あれれ、前にもずっとコレやってた、と思い出したのが「内観」。

去年2月、大和内観研修所で「集中内観研修」を一週間受けた。

あのとき、屏風で仕切られた半畳の間で、朝から晩まで、

「してもらったこと」「して返したこと」「迷惑をかけたこと」という三項目を考えつづけた。

母 → 父 → 母の順番でやったねえ。




あのときの経験がやっぱり活かされて、いまも「あそこにつながるコツ」みたいなのは、あるっちゃある。

けど、ネタがだいぶん乏しくなってきた。

今日もなんとかヒネり出した手紙を、病院の受付へ持っていく。

「荷物持参者」の一覧表に、いつものごとく、患者名や持参者名を書いていたら、

すぐ隣に、だれかがやって来た。

受付さん「面会ですか」

「いえ、亡くなりました」

「あ、そうですか」

「あとでまた来ます」

そう言うと、そのヒトはすぐに、病院の外へ出て行った。

あまりにも短すぎるやりとりに、私はなにが起こったのか、ワケがわからなくなった。

洗濯物の受け渡しでも、もうちょっとかかるのだが。

しかし、受付のヒトにしても、淡々と接するしかしようがない。




そういう「退院のしかた」もあるんだ、と私は、はじめて気づいた。

そして、「母の余命があと1ヵ月」と言われていたことすら、もうすっかり忘れていた。

あんなに蒼くなって、駈けずり回っていたのに、そんなことは忘れ果てて、手紙のネタがない、なんてなげいている。

たいがいのヒトはそうだろうけど、自分も家族も「死なない」と思って生きている。

私は、母が死なない、なんて思うと、そう、きっとつけ上がるだろう。

母のことをめんどくさく思ったり、放っておいたりするにちがいない。

ついこないだまで、「生きていてくれるだけでじゅうぶん」だったのに。

つらい治療ばかり、がんばってくれたのに、その苦労をもう忘れかけている。

うう、ほんとに「生きていてくれて、ありがとう」状態なのにねえ。

ウチに帰ってきてくれたら、朝晩、ちゃんとそう言おう。

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