そういえば、これまでずっと、「母のキゲン」に振り回されてきた。
いや、母が悪いんじゃないよ。
私が勝手に、好きこのんで(?)、振り回されてきましてな。
たぶんコドモのときから、ずーっとだなあ。
・母のキゲンがいいと → うれしい。
・母のキゲンが悪いと → すごくイヤ。ハラハラする。なんとかしなきゃとアセる。
コレだけだったな。
私の人生、以上で終わり!みたいだった。
そういうので61年やってきたから、ほかの選択肢が思い浮かばなかった。
わはは、心理のこと、けっこう長いあいだやったのに、なーんも身に付いてねーよっ!
ところが、母に対して、ようやっと、
「生きていてくれるだけで、ありがとう」と思えるようになったら、
うわ、母のキゲンが、急に気にならなくなった。
いま現在はたぶん、退院時期が一挙に延びて、母はたいそうキゲンが悪いはず。
昨日の昼、胃ろう指導の日程が決まったのに、
その日の夕方、「コロナ発生で病院立ち入り禁止」となった。
まあ、だれでもキゲン悪くなる。
以前の私だったら、母をどうなだめようか、ものすごく悩んだだろうね。
ところが、なんでしょ、ツキモノが落ちたかのように、いま私は、なにも考えていない。
おそらく、目の前に母が居て、猛烈に怒っていたとしても、前とはずいぶん気もちがちがうかもしれない。
たぶん、「なんとかしよう」とも思わないし、「キゲンを取ろう」とはしないだろう。
なによりも「自分は困らない」ような気がする。
そう、ソコだ。
前は、母のキゲンが悪いと、自分がすごく困っていたのだ。
ぜんぜん関係ないのに。
でも、母とは共依存(癒着)だったから、母が怒ると、非常に困っていた。
なるほどねえ。
いまのこの心境が、癒着がとけた状態か。
こうなってみて、はじめてわかった。
いやあ、すいませんねえ、もう母ちゃん90歳で、三途の川のほとりまで行って帰ってくるまで、私がこんなんで。
母も、私といっしょにいると、とても居心地が悪かったはずだ。
しかし、それもこれも、ぜんぶおしまい。
苦しい延命治療をがんばってくれてありがとうね。
おかげで、私はやっと変わることができたよ。
ようやく親離れできるよ。
だから、これからの余生は、私に関係なく、自由にのびのび暮らしてほしい。
私は私で、自分の人生を楽しむから。
とりあえずバッハ三昧。