いま現在「ターニングポイント」にいる。
ほんと、そうとしか思えなくて、ああ、これから私の人生は変わるんだな、と実感している。
だけどね、その変わるきっかけって、自然にやってきたわけじゃない。
ええと、「震源地」は私だ。
自分から、バタバタバタ~ッと動くというか、もがくというか、
いや、なんでもいいから、あたしゃこうしたいんだ!と鉄砲振り回しているうちに、
周りがどんどん変わっていきますなあ。
てか、すいません。
周りのヒトが「私を助けてくれる」。
ほんと、ちゃんとだれもが手を差し伸べてくれる。
これまで私は、そうやって差し出された手を、強がって、イキがって、
「いまさらそんなモンはいらねえっ!」と、よく振り払ってきた。
でも、やめたんだ。
ほんとは助けてほしい。
ほんとは愛してほしい。
だから、これからは、
「すみません、私が悪かった、わがままだった、傲慢だった、スネていた。
申し訳ない。おわびします。
それでもよかったら、どうか助けてください」とお願いすることにしたんだ。
ほんとに欲しいモノは、ちゃんと、
「欲しいです。どうかください」と頼む。
今回まず、母を2月末で退院させたかった。
またもやバタバタバタ~ッと頼みまくったら、
今日午後1時2分、病院から電話があり、
「2月29日午前10時、退院です」と師長さんから告げられた。
うわっ……
それからあとは、ケアマネさん、福祉用具スタッフさん、訪問歯科から、続々と連絡が入る。
まあもう、みなさんに申し訳ないが、たぶんこのために十数人ぐらいヒトが、ご自分の予定をくずして、動いてくれたんじゃないか。
私、へええって、ただただ感激していた。
へええ……こうやって、望みって叶うんだね。
あのー、これまでも、そういうことはよくあった。
私は、思いついたとたん、なにも考えずにバタバタバタ~ッと走りはじめるけど、
そうなんだよ、ちゃんとソレに応じて、助けてくれるヒトたちがいるんだよ。
ありがたいねえ。
なんかさ、私ってさ、ああ、愛されているんだなって、そう思ったよ。
母ちゃんが帰ってくるのも、すなおにうれしい。
私のために、痛いこともつらいことも耐えてがんばってくれた。
うれしいよ。
なによりもうれしいよ。
私は、自分にできる範囲でしか介護やれないけど、
母の貴重な余生を、少しでも甲斐あるモノにしたいよ。
と、キレイごとばっかり書いたけど、自分が押し殺してきたホンネも噴出してきた。
このごろ、よく泣いている。
むかしツラかったことを、ちゃんと思い出して、自分のほんとの気もちを救い出して、
ワンワン泣いたりしている。
といっても、3分ぐらいだけど。
バッハ聞いてると、クルマのなかで、急に涙がぶわーっと出てくる。
泣いたあとの、気だるくて、やわらいだ気もちが心地いいね。
今日、いま、すごくしあわせ。
きっとこれから、もっとしあわせになれそう。
そのしあわせを、よりたしかなモノにするために、また私は走るんだ。