なんとなく生活するだけであわただしい。
その大元は、やっぱり母ちゃんの存在だ。
いやまあ、母だからというわけじゃなく、むかし父を介護していたときも、すんごくあわただしかった。
自分のキャパがちっせえから、だれかを介護してると、ヤることの収拾がつかなくなって、むっちゃ忙しい。
さて、私は長年、母ちゃんと同居したり離れたりを繰り返してきた。
よくよく考えたら、さいしょはこのヒトのお腹のなかに居たんだよ、私。
で、いまから約62年まえに、おぎゃあと生まれて、へその緒も取れたんだけどね。
どうも母ちゃん、離れてもらっちゃ困る!と、いまだにしっかり、そのへその緒をつかんでいるような。
てか、母ちゃんが握っているへその緒をたどると、それは母ちゃんの「お母さん」だったりもする。
そっちのほうが正しいようだ。
母の実母は、母が6歳のときに家出してしまった。
母ちゃんを見ていると、ああ、まだ「お母さん」のことをいろいろ思っているなあ、とよくわかる。
どうして私を捨てちゃったんだようって、ずっと悩んでいる母。
それは、90歳になったいまでも、まったく変わらない。
あまりにも「お母さん」が欲しいために、このごろは正式に?私を「お母さん」にしつつある。
そう、母ちゃんは、だんだん「コドモ」になってきた。
いや、かまわないけどね。かわいいし。
去年年末、三途の川を渡りそこねて、また「こちら」に戻ってきて以来、母の性格が変わってしまった。
以前はあんなに怒りまくっていたのに、文字どおり、ヒトが変わったかのように、ぜんぜん怒らなくなった。
今年に入ってからずっと、ニコニコ笑顔ばかり見せている。
そして、ときおり中空をぼうっと眺めている。
そういう視線の定まらない空疎な表情は、ああ、父もそうだったなあと思い出される。
話をしているときは、ちゃんとこっちを見ているけどね。
ふと、会話が途切れると、茫洋としたつかみどころのない、ゆるみ切った表情を見せている。
かと思えば、キゲンよく、なにやかやしゃべっているときもある。
介護ベッドが電動で上下移動するとき、小さいお知らせ音がピーと鳴る。
その音が聞こえると、母ちゃんが、
「ぴぃー、ぷぅー♪」とよく歌っている。
ぴーぷーの前後は、なんかべつのことをしゃべっているのに、わざわざぴーぷーをはさむ。
かわええ……
トイレは便座に座るまで介助するけど、用足しが終わるまでは、扉を閉めている。
そのあいだけっこう長いので、私は用事を片付けている。
けど、今日たまたまトイレのまえを通ったら、母がブツブツ独り言を言っており、
とちゅうで、「ぽっぽー♪」と歌っていた。
そういえば、ウォシュレットのいっちゃん最後、ノズルが引っ込むとき、
小さい音で「プップー」と鳴る。
そのプップーが聞こえて、母ちゃん、「ぽっぽー♪」と応えているわけだ。
もうさ、オカしくてオカしくて笑
ハト時計かよっ?!
かわいいもんだよねえ、90歳にもなるとさ。