「〇〇〇へ行きたい」と90歳の母に言われても困る理由

日々のあれこれ

ふと母が「みんな、どうしているのかしら、90歳になって」とポツンと言う。

「みんな」というのは、母が中学高校のときの同級生のことだ。

母の人生で、人間関係がいちばん楽しかったのが学生だったころ。

6年間、仲良し4人グループといっしょで、どんなに楽しかったか、私もむかしからよく話を聞いていた。

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母は、育った家庭が複雑で、とくに1番目の継母との軋轢に苦労しつづけた。

結婚してからは、夫(私の父ね)をどうしても好きになれず、結局ガマンの連続で終わってしまった。

父のことは、私から見れば、いいところがたくさんあるお父さんだったけど、母からしたら、やっぱり他人。

どうしてもなじめず好きになれなかった、というのは、母と同居して、母の本心をよく聞いていたら、とても腑に落ちるようになった。

父が亡くなって8年経ったが、母はそのあいだ、父のことはちっとも思い出さなかったという。




母は、父のことを「アノおじさん」と呼ぶのだが、

私が「アノおじさんといっしょにいて、楽しかったことってある?」と尋ねても、

母は「さあ……?」と首をかしげている。

つまり、シンボウして長いあいだ暮らしてきたものの、とくだん情が湧くわけでもなく、やっぱりしょうがなくたまたまいっしょに居た「アノおじさん」なのだ。

それに対して、いまでもうれしそうに生き生きと思い出を語るのは、学生時代のことだ。

あと、継母のことだって、たまには楽しかったりおもしろかったエピソードを話している。

でも、夫のことはほんとに皆無。

母は意固地になるヒトじゃない。だから、なにか屈託があって、わざと夫の思い出を避けているわけでもない。

まあ、いまとなっては、もう存在すらアタマに上らない人物だったというわけだ。

さて、同級生のことはしばしば思い出す。




母「みんな、どうしているかしらねえ。

同窓会ずっと行っていないわ。もう案内も来なくなって、ヒドいでしょ?」

私「いやあ、案内もらっても……みんな出席デキるの?」

母「……」

私「だいじょうぶなの? みんな90でしょ? ストレッチャーで移送とかになんないっ?!」

母「あっはっは! 」

私「会場、いつも神戸でしょ?

そもそも神戸ってのがムリちゃう?」

母「そうだよねえ、遠すぎるし、みんなカンタンに行けないね」

私「もうさ、会場、『あの世』に変更したほうが出席しやすいヒトもいるんじゃ?

先生なんか、近くて便利でしょ?」

「うわあ! やめて~っ!」と笑いころげる母。




いろいろ話を突き合わせてみると、最後の同窓会出席は1999年と判明。

25年まえかあ。

おお、みなさん66歳のときだねえ。

母だってそのトシなのに、いま調べたら片道2時間ほどかけて出席している。

わざわざ関東地方からやってきたヒトもいたらしい。

その甲斐あって、仲良し4人グループは全員そろって会うことができた。

けれどもそれが最後。

それからは、ぽつりぽつり「年賀状じまい」の知らせが届くようになり、もうだれの音信も絶えてしまった。

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