母とむかし話をしているのは楽しい。
両親とも、ふるさとがないので、私にもふるさとめいたモノはない。
父方の祖父は、小学校卒業後、紡績工場の工員になったので、工場の長屋社宅に住んでいた。
母方の祖父は、アヤしい営業屋で各地を転々としていた。
だもんで、我らには故郷がない。
けれども、私には、自分が1歳から7歳まで住んでいた家が、いちばん懐かしく感じられる。
母の話によると、私は幼児期まではおとなしく手がかからない子だったらしい。
だが、幼稚園に上がるまえごろから、次第に狂暴化して、周りの子どもたちをブン殴りまくっていたという。
自分でも、毎日ケンカに明け暮れていた記憶がちゃんと残っている。
とくに、その7歳まで住んでいた家の近所では、オモチャのプラスチック刀を振り回して、日々戦いに励んでいた。
母「隣のヨシアキちゃんとケンカばっかりしてたのよ。
でも、ヨシアキちゃんは春ちゃんより、ひとつ上でしょ?」
私「ヨシアキっ! 覚えてるよっ! まだ顔も覚えてる!
そうなんよ、アイツに勝てなくて、いつも悔しくて!」
「でね、ヨシアキちゃんの代わりに、春ちゃんたら、妹のミユキちゃんを殴るのよ」
「うん、あの子はすぐ泣くだけで、つまんなかった」
「もー、ほんとケンカばっかりして……
私、あっちこっちに謝りに行ったわ」
「ごめんねー」
母「そうそう、ピアノの先生も泣かせちゃって……」
私「はああっ? 泣かせた? だれがだれを?」
「春ちゃんが、ピアノの先生を泣かせちゃったのよ。
先生、ポロポロ涙をこぼしちゃって」
ひええっ! そ、それは初耳だ。
「えーっ?! ソレ、私が何歳のときっ?」
「んーと、小学1年か2年かな?
おうちに出稽古に来てもらってたけど、先生、シクシク泣いてたわ」
「ひゃあ、私、ぜんぜん覚えてないよっ!」
母「先生に悪かったから、あとで私から、先生のお母さんに電話して謝ったのよ。
そしたら、お母さんが、
『まだ若い娘ですから、こちらこそ至らなくてすみません』っておっしゃって」
げ……あたし、ほんまにピアノの先生、泣かせたんだ、6つか7つやったのに。
よく聞く話として、むかしの先生は恐くて、生徒が泣かされたってのはあるみたいだが、
いやあ、ガキンチョが先生泣かすって、よくあることかねっ?!
そのぐらいで泣くなよっ!(本音)
ああ、いまもすぐに戦闘態勢に入っちゃうけど、さすがにケンカは止めたくなった。
いまケンカしそうなのは、ケアマネさんとかだが、なるたけ低姿勢で、とりあえずいつも謝っておこう。
きっとバレてるはずだが。