新居1年目|ひとり暮らしをウダウダ満喫
2013年4月(私51才)に、全面リフォームした中古マンション(16㎡)へ引っ越し。
少し落ち着いて、6月からパートへ行きはじめたが、どこも2~3ヵ月ぐらいで辞めた。
だいたい、初日から「ああ、クソおもしろくねー」ってウンザリする。
周りのひとたちは、おおむねいいひとばかりなのに、しばらくすると、みなさん、私の仕事ぶりが異様に遅いので、あきれてくる。
コンビニとかなら、たとえば掃除するでしょ?
ふつうのひとなら15分で終わるヤツとか、私がやると1時間かかる。
品出しも、ふつうは10分でも、私は30分、40分かかる。
指示されたこと、注意されたことを、すぐに忘れてしまう。
そんなこんなで、本人も周りもげんなりして、じゃあ、辞めようとなる。
そのころ、プライベートでは、英語の勉強をしていた。
私の好きなピアニストが、ヨーロッパで、ときどき講演をしていて、その講演を聴きに行きたかったからだ。
そのピアニストは1931年生まれで、すでに2008年(77才)、コンサート活動を引退していた。
私は、その引退後に、ファンになったので、生演奏を聴いたことはない。
しかし、そのピアニストは、引退したのちも、講演会は行なっていたので、ひと目その姿を見たいなあと思っていた。
だが、英語の勉強は 850時間でケツを割る。はじめて受けたTOEICは 420点だった。
パートだろーと英語だろーと、まったく長つづきしない。
2014年1月、こんどは「古本せどり」をはじめる。
「古本せどり」は、ネットビジネスのひとつ。当時は、もう下火になりつつあった。
ブックオフや古本屋で、古本を仕入れて、アマゾンマーケットプレイスで販売する。
それをしばらくせっせと励んでいたら、まもなく、父ちゃんが脳梗塞で寝たきりになった。
2年目|8年音信不通だったのに、両親に関わるハメに
そもそも、両親とは「音信不通」になっていた。
私は、幼少のころより、主に母から、殴られたり蹴られたり、しょっちゅう暴力を受けていて、ずっとイヤだった。
実家を離れたのは、33才のときだったが、まだいちおう交流はあった。
2006年(私44才)、母ちゃんといざこざがあったとき、母ちゃんが「慰謝料を払ってつぐなえ!」と激高した。
まあ、それまでにも、さんざん私のお金を巻き上げられていたので、そろそろ潮時だと思った。
私は「もう連絡せえへんで」と電話で伝えて、以来、しっくり落ち着いて、音信不通になっていた。
ところが、2014年3月30日(私51才)、妹からメールが来た。
おねえへ
こんなに久しぶりなのに、いや~な話題ですみません。
父親は、いつだっけな、1月末くらいに脳梗塞を発症して
○○の病院に入院しています。
途中でリハビリ専門の病院に転院しています。
早期のリハビリをきちんとやらなかったせいで、自分ではほぼなにもできないです。
どういう訳か、おねえに会いたがっているそうです。
でも、おねえはさらさらそんな気はないですよね?
お、おう……
ええと、私は、2006年から8年間放ったらかしなんだけど、さすが妹、私に負けず劣らず、あっぱれじゃ。
1月末にぶっ倒れた父ちゃん(83才)のことを、3月末に教えてくれたり、「おねえはさらさらそんな気はないですよね?」と言ってくれたり。
それは、妹の思いやりなんだよねえ。
私が嫌っている両親のことだから、もう関わりたくないだろうと、思ってくれていたんだ。
ちなみに、妹自身は、たぶん20才ぐらいに実家を出て行って、その後、親元に帰ったのは2~3度ぐらいかねえ?
ウチのお母さまとお父さまは、どういうわけか、お子さまがふたりとも、なつかないのでございます。
けれども、私は、妹にこう返信した。
いいえ、母ちゃん次第です。
母ちゃんが本心から「おねえを父ちゃんに会わせたい」と考えているならそうします。
でも、おそらく母ちゃんはそんなこと思っていないでしょう?
そうであれば、会わないということになります。
まあ、母ちゃんが迷っているという場合もあるでしょう。
だったら保留でしょうね。
などと、この時分はまだ、わりと冷静だったのに。
このあと、私が母ちゃんに、8年ぶりに電話したら、う~ん、ついうっかりホダされちまったよ。
このとき、母ちゃんは80才。
まあ、八十の妖婆にゴシャゴシャ言われると、なかなか断りづらくて、「そんなら、いちど、私がそっちに行くわ」となっちゃった。