ピアノを弾くとき、「物語やイメージを具体的に描く」ということが、ようやく腑に落ちてきた。
と同時に、その「物語」を「ピアノで語る」ためには、もっと「聞くひとの心を揺さぶるような音」が必要だろう。
なので、ときおり先生がおっしゃるように、「弦のいちばん向こうまで、揺らせるように」耳を澄ますようになった。
「艶光りがするような音」とか「粒立ちのいい音」とか「豊かな音」とか出したいな、こうかな? ああかな?
先生は「音は輝かしければ輝かしいほど望ましいです」と言われて、じっさいまばゆくきらめくような演奏を聴かせてくださる。
そういう音を出すために、もうずっと教えてもらっているのに。
しかしねえ、こうしたいああしたいと「思っている」だけじゃ、さっぱりダメ。
私の場合、長い時間練習しないと、まったく弾けない。
それはもちろん、「正しい練習」で。
その「正しい」をほんとに理解して、練習に落とし込めているかどうかも必要で。
レッスン日 | 平均練習時間/日 |
---|---|
2021/11/23(火) | 1時間42分 |
2021/11/30(火) | 1時間46分 |
2021/12/07(火) | 2時間40分 |
2021/12/15(水) | 2時間52分 |
練習時間、ちょっと増えた。
以前そうだったが、平均3時間を超えると「ごくわずか上達」するんじゃないかと期待している。
そうそう、メッセージをいただいたが、「毎日練習しなくても、その練習時間が短くても、順調に上達するひともいる」そうだ。
それはもう、個人差が大きいだろうね。
ピアノに限らず、何事でも「本質をつかんで、核になる部分だけ、短時間でマスターする」のが得意なひとは、そうなんだと思う。
私は、基本的に「しらみつぶし」「絨毯爆撃」に走ってしまう。
う~ん、すいません、幼稚で。
ハノン
ハノン40番│半音階│オクターブで始まる両手の反進行、1-5小節│合格
一度弾いたあと、先生「もっとふわあっと手を乗せて、それがごく自然につながるように」
2回ほど弾いたかな。合格にしていただく。
変ホ短調スケール│合格
反進行でのご指示を反映して、2回目を弾き終わると、先生がこうおっしゃる。
「とてもきれいです。ピアノがよく鳴っています。
しかし、なぜでしょう? あんなに痛くて、弱々しくしか弾けなかったのに」
「はい、きっかけは、先生のお話でイメージの大切さが、心底よくわかったからです。
それ以前は、あのう、『ただ弾くこと』しか考えていませんでした。
でも、やっと『まずイメージがあって → それが音として表されている』と腑に落ちたんです。
そうしたら、すごく気もちが変わったんです。
『いい音を出したい』と思うようになりました」
先生は「ものすごくいい音が出ていますよ。きれいに響いています」と言われた。
ああ、ふしぎだなあ。
そして、とてもうれしいなあ。
やっと、「こういうこと」なんだと、ちょっとわかってきたかもしれない。
いま使っている楽譜 ハノンピアノ教本 全音ピアノライブラリー
バッハ:フランス組曲第3番 サラバンド│7回目のレッスン
↑1小節目「ヨタッてます」とのこと。
あとに出てくる同じ音型も、ヨタッていた。
妙な思い入れをしないで、「もっと端正に抑制的に」。
また同じ注意をされてしまった。
先生「『物語』は、あんまり表に出さないんですよ。見せないんです。思っておくだけ」
第一音は「ため息のとちゅうから始まるように」 → それも、前に教わっていたのに。
音が下降するところは「まるで薄まっていくように」
▼12小節│左手後半│「嫌な感じ」を含ませて。
あと、「曲のいちばん最後の音」を、すべて同時に離すこと。
ただし、じゅうぶん余韻を持って。
いま使っている楽譜 春秋社版 バッハ集 3
モーツァルト:ピアノ・ソナタ第4番K.282 第1楽章 変ホ長調│10回目のレッスン
先生「もたつくところが、あちこちありますね。
それにペダル。踏むわけでもないのに、足が微妙に動いていますね。
まったく踏まないほうがいいところもありますよ」
う~ん、そのペダルのヘンな踏みかたは、う~ん、う~ん、むかしのクセだなあ。
子どものころ、「単に音をつなげるため」にすごく踏んでいたように思う。
ほんと、無神経に、いくらでも。
もうはっきり思い出せないけど、そのころの先生のご指導かなあ?
なので、いま現在、「打鍵と同時に踏む」というのがなかなかできないのよ。
それ、むかしやったことないんで。
つまり、「身体に沁みついたクセ」って、すっごいしぶといんだよねえ。
もう46年ぐらい前の動作なのに、いまだその「不必要な回路」が作動してしまう。
しかし、「音がどうなっているか?」というフィードバックを最優先にすれば、そういう踏みかたは避けられるはずだ。
う~ん、「音を聴いてペダル踏む」練習をやらなきゃ。
▼むずかしい、さいしょの3小節。
お手本演奏は、ゆらゆら、たゆたうように、はかなげにうつくしい。
先生「そうですね。ちょうどいいお湯加減のお風呂に、長いあいだ浸かっているような『身体の状態』にしてみてください。それで弾いてみて」
なるほど。
「そういう身体になってみて弾く」んだ。
風呂、もっと入ろう。(違)
▼9小節以降│もっと素朴に軽やかに。さらっと。
▼14小節のトリル。
先生「このトリル、入るようになったんですね」とおっしゃる。
そ、そうですね。練習しましたあ。
といっても、以前に教わったとおり丹念にさらったら、弾けるようになったのだ。
いま使っている楽譜 モーツァルト: ピアノ・ソナタ集 第1巻/ヘンレ社/原典版
ツェルニー40番の22番│3回目のレッスン
ツェルニー、また左手が崩壊した。
これね、♩15から練習してるけどね。メトロノームは十六分音符60で。
「1秒に1音」で、それを10回練習。
そのつぎ、メトロノームは61にして、つまり♩15.25にして、また10回。
♩15.50 → 10回、♩15.75 → 10回、♩16.00 → 10回、♩16.25 → 10回、……、ということで、やっと♩74まで上げたけど、ダメだった。
先生「右手はほぼできているので、両手で弾いて、右手をお手本にして、左右対称に練習してみてください」とのこと。
それに「ラパパパ、ヤパパパみたいではなく、ふふふふ、うふふふみたいに軽く笑うような感じで。軽~くホコリを払うぐらいで」
いま使っている楽譜 ツェルニー40番練習曲 全音ピアノライブラリー
今日のレッスンを振り返って
あのですね。
「気もちが変わった」というのは、心理で言うところの「エゴから離れられたから」だと思う。
「エゴ」とは、うわ、よう説明せんわ。
ええと、まあ、この場合ならば、
エゴが主導権をにぎっていると、そうだなあ、「手は道具」になっていると思う。
そうではなく、エゴから離れられると、
そうすると、身体のバランスが取れるような感じでもある。
今日先生が、「いま、いい音で弾けるようになると、『もっともっと』という欲が出たりします。そうなると、また痛くなったりということもあるんですが。わかりませんけど」と言われていた。
そう、その「欲」がまさに「エゴ」なんだよね。
そんな「欲」と、どう付き合うか?