あまりにも運動不足なので、去年の暮れからぼちぼちウォーキングをはじめた。
さいしょのうち、10分も歩くと胸苦しくて息切れがした。
このごろは、ちょっとマシ。徐々に慣れてきた。
1月1日からは、歩数計で計ることにした。
やっぱり計ると、その気になる。
それに「専用歩数計」がいい。
スマホアプリとかだと、「スマホをずーっと起動させている」ことがうっとうしい。
以前から持っていた歩数計に電池を入れ、コートのポケットに突っ込んで、よたよた歩いている。
▼1月1日からの記録
ナメとんか、われ?みたいな数字ですな。
いまのところ、約4,000歩が上限かのう。
まあ、ピアノもたいしたことなくてすいません。
でも、ピのほうは、いま累計1,971時間。
2019年4月(57才)からの累計だ。
あと29時間やると2,000時間とキリがいいけど、それ、発表会までにはムリそう。
でも、2,000時間なんて、ぜんっぜん、なんにもなってない。
どこのなににどうなったか、なんの役にも立っとらんで。
「1万時間の法則」だったっけ?
「エリート演奏家は20歳までに合計で1万時間の練習を積み重ねた」とかってヤツ。
ああ、たしかに。
「20歳までに」ってのがミソだとよくわかったよ。
ババアがいまさら数千時間だろーが数万時間だろーが、なんにも「積み重ならない」よ、ほんま。
いま現在もっちゃもっちゃやってる「弾けなさ加減」は、ちょうど1年前も2年前も、ほとんど変わらない。
子どものころも、まあ「弾けない部類」だったけど、それでもねえ、「いま」よりはまだ「自由が利いた」ような気がする。
こんなにも「手が動かない」「まちがえる」「何十回何百回弾いてもできない」というような悩みはなかったんじゃないか。
結局、私の場合は「2,000時間練習しても、中学1年レベルまで、まったく戻らない」ということだ。
それはもう、しゃーないね。
運動のたぐいだから、老化には逆らえない。
57才での再開は遅すぎた。
しかし、「手が動かない」のと「楽しさ」は、ぜんぜん別物だ。
ちっともウマくならないけど、「おもしろさ」はぐんぐん増してきた。
レッスン行くたんびに、いちいち「雷」が落ちてきて、ほう、そう来たか?!ってなる。
それを持って帰って、ウチでちみちみ実験するのがおもしろい。
あと、予想外のこととして「耳がちょっとよくなってきた」ように思う。
CDを聞いても、以前よりはこまかいことがわかるような気がする。
まあ、そんな気がするていどだが。
なので、ピアノを再開してみたら、「予測していなかったおもしろさ」がいろいろ出てきた。
・意外にも「人前演奏」する気にならない。(ヘタすぎるからだ)
・意外にも「ウマくならなくても」じゅうぶん楽しめる。
ちょうど1年前、やっぱり発表会にそなえて練習していた。
あのさあ、いまもほとんど変わらんのよね、ヘタさ加減が。
けれども、う~ん、なんか勝手に「おもしろさ」がバージョンアップしている。
とくに、去年の秋ぐらいから、ズブズブと「ピアノの沼」にハマッていくような感じだ。
気がついたら、首まで浸かっていて、おう、どうしようもねえなあ。
むかしは山ヤだったってのによう。
いま、ウォーキングをしているのは、「ピアノのための体力」を付けたいからだ。
うちの近所から、金剛山地をぐるっと見渡して、きれいだなあと思うものの、もう登りたいとは感じない。
健康保持のために「1日8,000歩」がいいらしい。
じゃあ、8,000歩までちょびちょび伸ばすけど、それ以上はいらない。
もうこれからは「ウマくならない」けど、ピアノを練習したい。
2,000時間やっても、3,000時間、5,000時間やっても、おかしいな、変わらんな、ずっとたいしたことないなと文句言いつつ、それでもヘラヘラしながら、たぶんピアノにかまけているだろう。