「ピアノハイ」でオカしくなったまんま、発表会に突入。
目覚まし4個かけたら、7時半に起きられたぞ。
なので、去年は遅刻しかかったが、今日は早めに会場に着いた。
ふう、めずらしい。
今回で、発表会は3回目。
●1回目│2020年1月(57才)│1曲のみ
▼シューベルト:楽興の時 第4番 D780/4 Op.94-4 嬰ハ短調
大崩壊はしなかったものの、あやうい「綱渡り」みたいな演奏だった。
それに指がふにゃふにゃで、ろくすっぽ音が鳴らない。
このときは、ピアノを再開(44年ぶり)して、まだ10ヵ月。
ちゃんと鍵盤を鳴らせない、指が動かない、基本のキがわからない状態だった。
●2回目│2021年1月(58才)│2曲
▼モーツァルト:ソナタK283 ト長調 第1楽章
▼ショパン:ワルツ Op.69-1
去年は、空恐ろしいほど崩壊した。
トラウマ級に壊滅的。
それぞれ十数ヵ所ぐらい、ミスしまくって、そのまま知らん顔して弾いて、後ろを振り返ると屍が累々みたいなありさまだった。
あれはヒドすぎた。原因は、タダの練習不足。
さて、とうとう3回目の発表会である。
練習ねえ、去年少なすぎ。今年に入って泥縄練習をまあまあ。
とくに、「出だしと終わり」を毎日50回以上練習したけど、じぇんじぇん、焼石に水。
発表会の会場で、自分の出番の6人前までは、客席で聴いていた。
5人前になったときに、トイレへ行って、4人前から控室に入る。
いつもそうだが、ほかのひとのいろんなスゴい演奏を聞きつづけていると、自分がどんな曲を弾くのか、さっぱり思い出せなくなる。
しゃーないんで、控室で楽譜見て、エアピアノ弾いてみるけど、いっこうに弾けそうもない。
3人前になったら、舞台袖で待機することになっている。
絶望しながらノソノソ舞台袖へ行ってみると、あれ、いつも私の前に演奏するひとが座っておられない。
あれれ、あれあれと思っているうちに、2人前のひとの演奏が終わって、そのときに、「私の前のひとは欠席」とわかった。
ああっ、もう私っ?!
びっくりしすぎて、アナウンスの声(名まえ呼ばれるの、ヤだあ)を聞いているとき、心臓がドキドキした。
ほんと、ドンドンドンドンって鼓動を感じて、ヤバすぎとアセッた。
で、バッハをアタマで鳴らすのも忘れて、フラフラ舞台に出て行く。
ただ、客席を見回して → お辞儀 → イス座る……ってのは、何十回も予行演習しているので、まずまずOKだった。
でも、イスの高さ、また高くしすぎた。毎回アホだねえ。
いざ、イスに腰かけたら、ふうん、公民館と似ているな、この光景、と思った。
もう心臓は、ふつうになっていた。
▼1曲目│バッハ:フランス組曲第3番 サラバンド
いつものように「タタタタ│タタタタ│さん、はいっ」で弾きはじめる。
まあ、あんまりよくない。あちこちよろしくない。
そのうち、やっぱりトリルを失敗。
失敗に気を取られて、ハデにミスタッチ。
なんでこう、後ろにぼろぼろゴミを撒き散らかしながら弾くんだろう?
▼2曲目│モーツァルト:ピアノ・ソナタ第2番K.282 第1楽章
この曲を弾く前に、なぜかよく「叔母さん」のことを思い出す。
ふっとアタマをよぎるのね。
私の母の妹。
その子は、昭和19年(1944年)に生まれて、その翌年、空襲で死んでしまった。
たった1年だけ、この世をのぞきにきて、天国に帰ってしまった赤ちゃん。
その子が、もし生きていたら、この曲みたいに瑞々しい少女だったろうなあって、よく思う。
なので、今日も一瞬だけ、その「博子ちゃん」のことを思い出して、それからゆっくり弾きはじめた。
モーツァルトも、トリルがわやくちゃになった。
でも、なんかだんだん楽しくなってきた。
▼ここ、妖精が出てくるところ(という物語にしてある)、だいぶん浮かれ気味になっちゃって。
あちこち傷だらけだし、音抜けするし、ペダルもマズいんだけど、ああ、なんか楽しいなあ、うれしいなあって気もちでいっぱいになった。
ピアノの音もだんだん聞こえてきた。
しかし、モーツァルト、最後の音、ダメ。失敗。
どっしんになった。はあ。
うん、けど、いままでとは、まったくちがう気分で弾けたなあ。
また発表会に出たいと思ったよ。