ピアノの発表会を3回経験した。
まあ、ごく単純に「わあ、もう3回も出られてうれしい」と思った。
しかしねえ、この回数って「有限」なのだ。
このあと、4回目、5回目、……と順調に回を重ねていけるとは限らない。
なんの根拠もないけど、5回目ぐらいまでは「きっと出られるだろう」と見積もっていいかもしれない。
けれども、まちがっても「10回目はどんな曲弾けるかなあ、うふふ」とは、ならんわな?
1回目 → 57歳だから、10回目 → 67歳である。
要支援だの要介護だの、なっとらんか、おい?
50歳代~60歳代をどう過ごすか?ということに関して、山ヤはすごくシビアに計画しているかも。
私は、30~40代に日本三百名山を登っていた。(270山少しで挫折)
日本三百名山をツブしていると、その山で会うのは、やっぱり日本三百名山めぐりをやっているひとが多い。
ふつう?の登山者は、無雪期に難易度の高い山に登る。
でも、標高が高い山で、雪のない時期というのはほんと短くて、6~8月に限られたりする。
当時ふつうのひとは、だいたい60歳で定年退職。
それまでは、週末を利用して三百名山めぐりをするが、高難度の山は、7~8月の週末しか登れない。
60歳以降は、定年後だから、平日も自由に登れてなんの障害もないようだが、そうすると、体力が落ちてくるから、もう難易度の高い山はタイヘンなのだ。
三百名山でも、百名山でも、やっているひとたちは、けっこうシビアに「ちょっとでも若いうちに、むずかしい山は片付けておこう」と意識している。
まだ30~40代だった私でも「テント泊縦走なんて、50代になったらぜったいできないから、いまのうちにやっとこう」と、毎年アセり気味に計画立てて、バンバン登っておいた。
そしたら、山で出会う定年後のおっちゃんとかに、「あんた、いまそんなに登っちゃったら、老後どうすんの?」とか言われた。
「いやあ、1003山とかもあるし、べつにいいっすよ」とか返事したけど。
そうそう、「1003山」という選定もあって、それやってるひとも、ごくまれにおるんよ。
1003でっせ。
いちどだけ、1003山をやってるひとに出会ったことがある。
5月上旬の尾瀬だった。まだ残雪で真っ白。
そのひと、たしか700山ほど済んだって言ってたかな。
「北海道がタイヘン。低い山でも、夏のうちに、いちいち飛行機で通わないといけない。道がない山は残雪期しか行けないし」とボヤいていた。
もうね、交通費との戦いみたい。
三百名山でも百名山でも、ふつうに往復していたら、およそ一山につき3万円ほどかかる。
1003山ともなると、総額3000万円。
まあ、海外登山は1回100万円で、そっちはそっちで、天気悪くて現地で待機しているうちに、登らずに帰国せんといかんとかもあるし。
でも、海外こそ国内よりもっと危険だから、少しでも若いうちにと、いったん会社辞めてまで登りに行くひともいる。
というようなことを、あらためて思い出した。
で、ピアノも、もっと年齢にシビアにならんといかんな、と。
なんかピアノって、室内でぬくぬくと、ちょぼちょぼ練習してるだけでええと思っていたが、それ、甘すぎやな。
ちゃんと、それなりにまあまあ弾ける時期って、山とおんなじかもしれない。
せいぜい65歳ぐらいまでと見積もって、自分が、どんなふうにピアノと関わりたいのか? きちんと考えておいたほうがいい。
山はもう、底が抜けるほど登り尽くしたから、まったく未練なし。
そう、ほんと、これから再訪できない山ばかりだが、うん、もう気が済んだよ。
けれども、ピアノはヤバすぎ。
あと5年で、どうすんの?
いままでみたいに1曲をちんたらちんたら何ヵ月もやってて、あっという間に、免許返納要支援要介護が来て、そのとき後悔するのが目に見えている。
トシ取って体力おとろえて、そしたら、いろいろ妥協や工夫をして楽しむのは、山もピアノもいっしょ。
しかしねえ、せっかくやるからには、ピアノでも「自分の人生のなかでのピーク」というのを味わってみたい。
そのレベルは、う~ん、やっぱり山で経験があるから、おそらくピアノでも「ここまでイケたら、じゅうぶん満足」というレベルを、自分でわかるんじゃないかな。
ということで、ピアノにおいて、いちどちゃんと「長期計画」を練ってみたい。
あのさ、もう1003曲とか300曲とか弾けるわけないんだから、自分で「選定」して、おおよそ計画しないとね。