基本的に「暗譜」が好きだ。
なぜなら、私は「欲張り」だから。
欲の皮がつっぱっているので、曲を丸ごところんと、自分のモノにしたいと思うのだ。
あと、弾いているときに「楽譜を見る」という作業を減らしたい。
それでなくても、ピアノ弾くのに、めちゃくそ同時処理せなあかんから、ひとつでも減らせるモンは減らしたい。
なので、スキあらば暗譜してしまおうと、わりと張り切っている。
しかし、いったん暗譜しても、すぐさま忘れてしまうことが判明した。
こないだの発表会、1月16日だったが、そのときの2曲、もう暗譜で弾けなくなっている。
ほう。
あれだけ弾いたのに、あ、そう、もう忘れたんだ。
これはショックというより、感心した。
あ、それが私のオツムなんだなって、冷静におどろいた。
一瞬、それじゃあ、レパートリーなんて維持できないなと思ったけど、まあ、どこかでだれかに「なにか弾いてみて」と言われる機会もないし。
必要性はなくて、単に自分のためにレパートリーが欲しかったら、マメに暗譜しなおしたらいいだけだ。
でも、そこまでやって、暗譜しておきたい曲はまだない。
ちなみに、4日前に合格となったバッハ:フランス組曲第4番 エールも、まったく暗譜で弾けない。
合格の直前1週間は、ウチで暗譜できていたが、それ、もう消失している。早っ!
こ、こんなにさっさと「記憶が処分」されていくなんてっ?!
けれでも、記憶力低下は、自然現象だからどうしようもないねえ。
発表会の曲が、いまどういうふうに弾けないのか?を考えると、いちばんの原因は「手がそういうふうに動いてくれない」ということ。
手が止まって、はれっ?ってなる。
私の暗譜は、「音(ドレミ)の記憶」と「手の動き(身体)の記憶」が半々のようだ。
しかし、どうやら「手の動き(身体)の記憶」が優先してくれないと、そりゃま、パッと弾けないようで。
いま現在、「音(ドレミ)の記憶」は歌ってみれば再現できるが、「手の動き(身体)の記憶」はもう失われている。
だが、発表会本番で、バッハのとき、緊張して意識不明でもなんとか「勝手に」弾けたのは、なるほど、この「手の動き(身体)の記憶」が有効だったからだと思い至った。
へええ、身体の記憶っておもしろいなあ。
おもしろいけど、あっという間に消えてしまう幻ですな。
あ、そうそう、私はいまだにクルマの発進、停車は自動的にまったくデキなくて、いちいち、はい、ブレーキ踏んでー、鍵回してー、サイドブレーキ降ろしてー、とひとつずつ考える。
めんどーでしゃーないけど、「身体が覚えない」んだよー、このクソーっ!
つぎなにやるか、いちいちアタマ使わないとあかんの。
40歳のときに免許取ったからね。
うん、そうだ、40歳以降なんて「身体に記憶」させるのがひじょうに困難で、かつ、デキたとしても、すみやかに消滅してしまうのだ。
しかし、このスゴくあやうい「身体の記憶」を万全にしておかないと、本番でイヤなことが起こるんだな。
なるほど、なんかいろいろわかってきたぞ。
で、「身体」に覚えさせようとしたら、1日30~50回やるとイケるのよ。
あ、そうか、どこのパートでもレジを打てなかったのは、やっぱり練習不足だな。
せいぜい10回ぐらいしか練習してなくて、それで覚えられないってなげいていたけど、それ、単なる練習不足だよ。
で、ピアノ。
いまはレジなんかどーでもええから、とにかく鍵盤押しなはれ。
発表会のあと、試してみたら、「1日50回×6日=300回」で暗譜できるとわかった。
まあ、これ、難所の部分練習だけど。
でも、そうやって、難所だけでも暗譜しちゃって、そのスキマをぼちぼち埋めていったら、全体をマダラ暗譜できる。
マダラ暗譜ぐらいまでもっていくと、レッスンで先生に「ここで切って」「この3音だけ盛り上げて」とか指示されても、あ、はい、とわりにスッと弾けたりする。
だから、あるていど回数こなして「身体の記憶」までもっていっとくと、やっぱり少し余裕ができるんだ。
なるほど、身体、大切だねえ。
じゃあ、やっぱり「身体全体の能力を高める」ということを、ぼちぼち考えてみようか。
しかし、演奏するうえでもっとも大切なのは「うつくしい」ということ。
なので、覚えたいのはヤマヤマだけど、「うつくしく」なおかつ「それで暗譜」というのがめざしどころ。