私はずぼらで、元汚部屋住人で、めんどくさがりで、ちゃらんぽらんなのだが、「ちまちま組み立てていく作業」ってのは、けっこう好きかも。
あと、「おんなじことの繰り返し」に安住したい。
いっちゃん苦手なのが「臨機応変」。
もー、すべて「決まっていること」で埋め尽くしてほしいんだが。
その点、クラシック音楽は「楽譜どおりに弾けばいい」から、すごく安心。
今日はモーツァルト:ソナタ第4番 第3楽章を、バラバラにして、なぞりまくり大会。
▼やってるうちに、どんどんおもしろくなってきた。
数小節ずつ、各30回練習。
はじめは超低速、1拍1~2秒かけて、響きをよく聴いて。
まず、この「じっくり聴く」ってのにツボッて、わ、こんなにきれいな重なりだったんだ!と目からウロコぼろぼろ。
それから、今週最大のテーマ「弱音」の勉強。
出すぞー、最弱音ーっ、ぜったい弾きたーいっ!
弱音にそんな気合入れるのどうかと思うけど、まあ、ちっせえ音も、めちゃくそゆっくり弾いてると、たまにマグレで出るよ。
そのマグレが出たとき、自分の手がどういう状態なのか、をフィードバックする。
まあ、やっぱり「うんと力を抜いた状態」。
とくに、親指にかけての力をぷら~んと抜いた手でスッと降ろすと、弱音が出やすい。
先生によく注意されるけど「そのまま置くだけ」。
私、なんか「いらんこと」したがるのよ。
先生「なんかしてますね。してますよ。そこ、キメようとしない。置くだけ。あ、こっそりキメてる。それ、やめて」
って、こないだめっちゃ言われました。
さすがに反省した。
てか、今日いろいろ試して、なるほど、ほんと「なんにもしない」と、弱音出るんだなあって実感した。
うう、私ってすなおじゃなーい。
もっと早く、先生の言うとおりにしていたら、この「弱音の出しかた」がわかっていただろうに。
なんかねえ、「作為の放棄」ってコトバを思い出した。
もう20年ぐらい前かな。
あるひとに「どうしたら信仰することができるのですか?」と尋ねた。
そのひとは、ある宗教の信者だった。
そのひとは静かにこう答えた。
「作為を放棄することです」
ああ、そのとおりだねえ。
どうも私は、自分勝手に、自分のやりかたでなんとかしようと、ごちゃごちゃたくらむんだよ。
それをやめなはれ、と。
もっと、そう、委ねるということか。
自分の指と、ピアノと、そういうのをぜんぶ信じて、ポンと委ねるってことかもねえ。
「なにも考えないでおまかせ」って、モーツァルトに似合う。
アタマを空っぽにして、ちみちみ練習していたら、うわ、モーツァルトってこんなにきれいだったんだ、ってびっくりした。
すごくいいじゃん、モーツァルトも。(いまごろ)
最後の音、「妖精がフッと消えるかのように」。
「妖精消す練習」もめっちゃやってみた。
イメージっておもしろくて、あ、まだウマく消えてない、う、ちょっと「らしく」なった? もっとスッといなくなるように?って、音に連動して「妖精の消え具合」ってわかる。
いかにして、妖精がウマく消えるか?ばっかり練習してたら、うん? 手品の練習みたいじゃん。
ま、そうだよね。
音楽もマジックも「演じるモノ」で、このソナタの最後みたいに「なにかがフッと消えて → それにお客さんがびっくりする」という反応があってこそ、成功だからね。
モーツァルトは、意外性の連続で、あ、そっかー、ほんとマジックみたいに、花束が出たりー、鳩が飛んだりーとか、小気味よくポンポン出していくのか。
ということで、「マジックの練習」みたいなイメージでやると、モーツァルトはうんとおもしろくなった。