そもそも「音の強弱」というのは、聞き分けにくいらしい。
私の場合、それ、重症で、「あ、ピアノって強弱があるんだな」って気がついたの、四十すぎてから。
バカじゃん、アホじゃん、と思うけど、わからないモンはわからなくて。
CDを聴いてても、四十すぎるまで、音の強弱にまったく無関心だった。
だから、フレーズの終わりが小さくなる、という当たり前の常識も、そのころに「ああ、そういえば」とやっとわかったという、アホさ加減。
当時は、強拍弱拍もわからなくて、CDで「さいしょの音をトン!ってするの、かっこいいな」ぐらいしかわからんのよ。
だけど、レッスンで、強弱全般や拍子について、ものすっごく注意されるうちに、まあ、ちょっとずつわかってきた。
とくに、強拍弱拍については、まるでコトバのイントネーションのように、できる限りキビしくチェックするようにしている。できてないけど。
これ、なんかにそっくりだなあと思っていたが、ああ、ウチの母ちゃんがね、「標準語、しゃべりなさい!」っつーて、年がら年中怒っていて、うん、それでキタえられているから。
方言とかなまりをスゴく嫌うひとで、関西イントネーションでしゃべるの、厳禁だった。
なので、子どものころから、自分がしゃべることばのイントネーションを、ずっと監視するクセがついてる。
それがいま、意外にもピアノの拍子に役立ってるよ。
母ちゃん、自分がうっかり関西弁しゃべっても、あとで言い直して訂正してるし、おたがいずーっとイントネーションチェックしまくり状態。
いま、ピアノを弾いているとき、つねに「この音は強拍か弱拍か? 合ってるかどうか?」ずっと自分を監視しているけど、ちょっと懐かしい。
母ちゃんの場合、「自分も子どもも標準語をしゃべりたい」という願望があったから、それで統一していた。
音楽は、いや、音楽こそ「標準」がはっきりしている。
「強拍と弱拍」は、きちんと区別しないといけない。
「ときどき弱拍でドシンとなるけど、まあいいや」では済まない。
それは「すっごくヘン」なのだ。
「ソコだけ、なんでそんなイントネーションでしゃべるの?」みたいに、聞いているひとには違和感ありまくり。
ピアノの先生に「そんなふうに弾くと『幼稚』」と言われたことがあるけど、なるほど、ほんと幼稚、稚拙。
そういう基本的なことがデキていないと、べったーん、もっさあとした演奏になる。いま、そうなっている。
しかし、拍の終わりやフレーズの終わりを「小さく」といっても、かなり相当うんと小さくするんだねえ。
つまり、自分では、その「小ささ加減」がまだぜんぜんわかっていなかった。
▼たとえば、こういうところ。
これまでにも、何十回もお手本演奏を聞いていたのに、その「小ささ」に気がついていなかったねえ。
こないだ、やっとわかった。
うわっ、そんなに小さいんだっ!
なので、昨日から「いかに弱音を出すか」、めっちゃ練習していて、まあ、徐々にわかってきたかな。
やってるとおもしろい。
弱音にも何段階もあるんだと、ようやくわかってきて、「もっと小さく!」ってめざしたくなる。
ただ、これは電子ピアノでは不可能とわかった。
生ピアノみたいに「ごく小さい音」は、やっぱり電子ピアノでは出ないようになっている。
電子ピアノは、音抜けもしにくいし、最弱音も出ない。
それでいて、電子ピアノで「キレいなソレらしい音」はカンタンに出てしまう。
無頓着に押しても、とりあえずキレいで整った音が出ちゃう設計。
でもさ、私は、ついこないだまで「最弱音」を聞き取れなかったじゃん?
そうすると、電子ピアノでも最弱音を出そうとしなかったわけで。
だって、その「存在」に気がついていなかったから。
あれあれ。
じゃあ、「まだ聞き取れていない音」って、きっとたくさんあるんだっ!
う~ん、自分がいま、どのぐらいアホなのか?がわからんぞ。