まず、妹と大阪駅で待ち合わせた。
いやあ、大阪駅周辺って激変しとりますなあ。
どこもかしこもキレイになりすぎていて、いまドコにおるのか、さっぱりわからんかった。
しかし! 妹は変わっていなかった。
相変わらず、スラッと細身で、パッと見、40代だ。
実際は57歳だというのに。
しかもこのおばはん「もう太っちゃってえ~、体脂肪率が20%以上もあってえ~」とコボしやがる。
私はすぐさま、スマホの体脂肪アプリを妹に見せつけて、「おまいな、体脂肪がつねに40%超えの私はどないすんねんっ?!」と恫喝してやった。
とりあえずデパートで手土産を買い、叔父さんの家の最寄り駅へ向かう。
駅のロータリーで、叔父さんのクルマを発見!
ドキドキしながら、近づくと、わっ! たしかに叔父さんだとわかる年配の男性がクルマから顔をのぞかせた。
「春子、変わらへんな。あれ、T子、えーっ?!」と言う。
約40年ぶりに叔父さんの顔を見た。
前回会ったのは、叔父さんが20代後半のときで、「おにいちゃん」だった。
で、40年後も、やっぱり「おにいちゃん」で、「おにいちゃんが60代後半だと、たしかにこうなる!」と認識できた。
自宅のマンションまで連れて行ってもらい、つぎは、またドキドキしながら、叔母さん(叔父さんの奥さん)にお会いする。
叔母さんは、笑顔がステキな若々しい女性だった。
でも、たしか叔父さんより1個年上なんだけどね。
居間に通してもらうと、テーブルいっぱいに、ごちそうがところ狭しと並べられていた。
その光景を見て、私は罪悪感に襲われてしまった。
私は、私の母から「ご飯時に絶対ひとのウチに行ったらダメ!」と、子どものころから何度も言われていたからだ。
そのことばは正確に言うと、こうだった。
「百合子お母さんから『ご飯時に絶対ひとのウチに行ったらいけん』って何度も言われていたの。だから、あんたも絶対守ってね」
「百合子お母さん」というのは、母の「2番目のお母さん」だった。
母にとって、継母に当たるのが、百合子お母さんだった。
その百合子お母さんの、ほんとの次男が、いま目の前にいる叔父さんなのだ。
百合子お母さんは、叔父さんが中学生のとき、病気で亡くなってしまった。
私は、百合子お母さん(私の義理の祖母)の遺言を破ってしまうかのように申し訳なくて、叔母さんが用意してくれたごちそうをぼーっと眺めていた。
「さあ、どうぞ食べてくださいね」とうながされて、私も妹もごちそうに手を付けた。
よもやま話が一区切りついたとき、私は叔父さんにこう言った。
「百合子お母さんの『ご飯時に絶対ひとのウチに行ったらいけん』っていうのを、母から何度も言われて、私は育ったんですよ」
すると叔父さんは「聞いたことないな。おふくろ、死んだとき、僕は中学3年やったから。まだ小さいから、言わんかったんかな」
ああ、私は「叔父さんが知らないお母さん」を、私の母を通して知っているんだなと気づくと、胸が締め付けられるような思いに駆られた。
●本日のネットビジネス準備:2時間05分
●本日のピアノ練習:2時間10分