「ヤバいお楽しみ」は隠れてこっそりやりましょう

日々のあれこれ

ハナシはずいぶんさかのぼるが、私は子どものころから、母と折り合いが悪かった。

いま思うと「私が母を怒らせる、挑発する」ということをせっせとやっていた。

あと、私は「スネ」がヒドくてねえ。

幼稚園に行ってたころから、スネまくってふてくされていた。

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私がそういう態度をとるもんだから、両親は、そりゃまあ怒りますわな。

要するに、私があまりにもオカしいから、親との仲がこじれてしまったのだ。

「内観」をして、自分の態度を調べてみると、結局「自分が悪い」とハッキリわかってしまう。

そう、内観って「自分を厳しく取り調べる」ことなんだよね。

いっちゃん最初に「調べる」のは、「母に対する自分」。

まず、小学1~2年生のころの、母に対する自分を調べる。

そのあとは、小学3~4年、5~6年、中学生、高校生、それからは3年間ごとに区切って調べる。

「母に、してもらったこと」
「母に、して返したこと」
「母に、迷惑をかけたこと」

この3項目だけを、屏風で仕切られた半畳のスペースで、ひたすら考えつづける。




そこには座布団があるだけで、他のモノを持ち込むことは許されない。

研修の初日、貴重品とスマホは、小さなロッカーに預けて、1週間そのまま。

外部との連絡はいっさい取れないし、情報からも遮断される。

食事も、お膳が屏風の前まで運ばれる。

屏風の外に出られるのは、トイレと風呂のみ。

その最中も、内観せよと指示される。

内観中は、およそ1時間半ごとに、面接者が来てくれる。

そのときは、正座をして、「お願いします」と深々とお辞儀をし、面接者に報告する。

「ただいまの時間は、小学1~2年生のころの、母に対する自分を調べていました。

お世話になったことは………で、私が母にして返したことは………です。

母に迷惑をかけたことには………がありました」

などと、伝えるのだが、いやあ、「してもらったこと」と「迷惑をかけたこと」は山ほどあるのに、「して返したこと」なんてゼロっす。




てか、私は子どものころから「スゴくヘン」で、いまもヘンだけど、なんつーか「常軌を逸した迷惑」をかけすぎていた。

幼稚園に行ってたころ、近所のちょい大きめの川のそばに、男のコが立っていた。

私は「こいつ、川にハマッたらおもろいな」とたくらんで、そーっと忍びより、後ろから突き飛ばして川に落としてやった。

男のコは溺れそうになって、オトナたちは大騒ぎになったけど、私はぜんぜんピンとけえへんのよね、いまも。

私の、そこらへんの延長上に「お亡くなりになった方のお身体を見るのが大好き♪」とかがあるんだけど、う~ん、母にしたら「この子、どう扱ったらいいんだろう?」と悩みつづけてたんだと思う。

あ、べつに「そういう性癖」って、ソレはソレで「需要と供給」があって、「好き♪」でやってるヒトたちがいないと、成り立たない現場がちゃんとあるし。

だが、私はもう少し早く「成長」すべきだった。

「オカしい部分」はあってかまわないけど、ソレをすべて認めろ!と母に強要したのが、まちがいだったねえ。

どこかの時点で、「あ、こういう『ヤバい件』は、こっそり楽しまなくちゃ」と、気がつくべきだった。

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