「むかしみたいに歩けない」と嘆く高齢者の意外なホンネとは?

日々のあれこれ

90歳の母だから、当然「老いの嘆き」を抱えている。

あ、きっと個人差は大きいだろうね。

とりあえず身近な高齢者代表として、

「むかしはあんなに元気で歩けたのに」

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「こんなになってまで、長生きしたくない」

「もうどこにも行けない」

と、日々嘆いていらっしゃいます。

アタマはだいじょうぶなんよ。

まあ、ふつーに自由にしゃべっていると「繰り言」が多めだけど、私が相談事とか持ち出すと、ちゃっちゃと理解して、きちんと判断できる。

記憶力もぜんぜん問題なし。




私も話していて、いつも楽しいしおもしろい。

だが、ご本人がお嘆きのように「あんよ」がねえ。

杖1本で歩くのは、相当むずかしい。

ウチのなかでもシルバーカーを押して、たどたどしく10歩が限界かな。

段差は5cmでも困難。

というのも、どこか両手でつかまる箇所がないと、一瞬でも「片足で立つ」ことがまったく不可能。

わわ、トシとると、こうなっちまうんだ。

母が入所していたサ高住でも、ほとんどの高齢者は「まず足が弱る」らしい。

こうなると、ちょっと移動するだけでも、長時間かかってしまう。




たとえば、クルマで病院へ行くにしても、玄関からクルマに乗り込むまで、20分はかかるんだわ。

玄関の段差を降りてもらって、靴をはかせるだけでも、5~6分はかかる。

そこから先、クルマに乗るまでも、さまざまな困難が立ちはだかっていて、まあもう、座席に座るころには、母も疲労困憊。

いっしょに暮らすまで、ここまで移動がタイヘンだとは、まったく予想できなかった。

だから、同居する前は、近所のスーパーへクルマで母を連れて行って、好きなモノを選んでもらおうとか考えていた。

気候がよければ、クルマでどこへでも出かけられると思ってたよ。

けどねえ、「ちょっとクルマで外出」なんて、まずムリだとわかったよ、最近。

デイサービスに行くと、機能訓練で「歩行訓練」もあるっちゃある。

しかし、いまはまだ引っ越しの疲れが取れないし暑いし、デイ再開は10月ごろかねえ。

私は、同居しはじめた当初、母に対して「もっと歩こうよ」とけっこう勧めた。




だけど、よくよく話を聞いてみたら、

「もう歩きたくない」と母は言う。

そう、「歩けない」と嘆いているものの、じつは「歩きたくない」のだ。

「歩きたくない」と思っているのに、そりゃ「歩行訓練」はしたくないよな。

「むかしみたいに歩けない」なんて繰り言を聞いて、うっかり「じゃあ、歩行訓練して歩けるようになろうね」なんて方向に行っちまったけど。

それ、ちょっと違ってたな、私が。

「歩けないのが情けない」という気もちと「もう歩きたくない」という気もちが、両方どっしり共存しているのが90歳なんだねえ。

ってのが、よくわかってきたので、もう私は、歩くことに関してなにも言わなくなった。

母「このごろ、春ちゃんが『歩いたほうがいい』って言わないから、気がラクだわ。

ホッとする」

うん、それでいいよ。

歩きたくないなら、歩かなくて、ちっともかまわない。

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