とうとう「早寝早起き習慣」が身に付いたけど、その理由が情けない

日々のあれこれ

母という同居人がいるおかげで、私の生活は少しずつ改善されてきた。

そりゃまあ、ふつうのヒトなら、ひとり暮らしをしていても、決まった時刻に寝起きして、やるべき家事はちゃっちゃと片付けられるはず。

でも、そういうの、私はまったく不可能だった。

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そもそも「決まった時刻に寝て、決まった時刻に起きる」ことができず、何十年間もぐちゃぐちゃ。

夜の気分次第でズルズル夜更かし、てか朝の4時5時にやっと寝て、めでたく昼夜逆転なんて当たり前。

ピアノの練習とかもズレこんじゃって、それでも練習しとかんことにはレッスンでズタボロになる。

だもんで、午後3時起床の日なんて、あらゆることが後へ後へとズレていき、その結果、朝4時に電子ピアノでバッハ練習とか。




当時は、まだグランドピアノを持っていて、昼間にちゃんと弾けたのに、なんで早朝に電子ピアノで練習して、そのあげく朝6時に就寝やねんっ?

そしてふたたび午後3時起床ですな。

で、ソレが自分でもイヤでねえ。

「早起き習慣」の本とか何冊も買ったけど、やっぱり三日坊主。

たかが「起床就寝を決まった時刻にする」ことすらできなくて、ま、「こんな自分はダメだ教」の信者でしたのう。

少なくとも「意志の力」ではまったく変えられない。

意志なんて吹けば飛ぶようなシロモノで、どういうわけか「どっしり根が生えたように『グズグズダラダラしたい』感情」が居座っていた。

だのにねえ。




いま現在私は、午後8時半ちょっきりに寝るしたくをはじめて、午後8時45分に就寝。

朝は5時~5時半に起床だ。

起床時刻に幅があるのは、母が起き出してから、自分も起きるようにしているから。

このあたりもビミョーな配慮が必要で、母は↓こんな感じ。

・私が、母より早く起きると → 自分が寝坊してダメだったとがっかりする
・私が、母より2分ほど遅く起きると → ちょうどいい
・私が、母より10分ほど遅く起きると → 朝ごはんが遅くなるのでイライラする

だいぶん細けえハナシになってくるが、やはり母にいい気分でいてもらうためには、工夫が必要だ。

それに、母の几帳面さは、じつは自分にとっても心地よくなってきた。

朝5時台に一日をスタートすれば、午前中たっぷり時間を使える。用事もはかどる。




食事は朝6時、昼12時、夜5時半と、ほんま高齢者施設っぽいけど、いやあ、やってみたらスゴく快適。

いまとなれば、何十年も自堕落な生活を送っていたのは、いったいなんだったんだろう?

母にとっては、ひとり暮らしでも、ずっとこういう規律正しい生活が当たり前だった。

で、つくづく思うけど、習慣を変えるには「お手本をすぐそばで見るのが一番」だね。

あと、ホメてもらうこと笑

母ちゃん「あらあら春ちゃん、このごろちゃーんと早く寝て、早く起っきして、おりこうさんねえ

うへえ、61歳のババアがよ、90歳のばあちゃんに、「起っきして」も「おりこうさん」もクソもねーんだけど、何歳になっても親子ってこんなもん?

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