「嫌いなヒト」は大いにトコトン嫌ってかまわない

日々のあれこれ

私の両親は、仲が良かったのか、悪かったのか。

私はといえば、子どものときから父が好きだった。

無口で不愛想なヒトだったので、子どもに対してもわかりやすい愛情を示すことは皆無。

けれども、私は理屈抜きで父のことが好きだったし、父のすることなすことが、「すごいな、やっぱりお父さんはなんでもデキるな」と感嘆の対象だった。

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ところが母は、父のグチばかりこぼしていた。

いや、グチどころか、次第に憎しみを込めて、父のことを激しくなじるようになった。

まあ、父に直接は言わない。

私にああだこうだと、年がら年中、父への非難をこれでもかこれでもかとタレこぼすようになった。




結局、父が亡くなったときでも、母は、

「ぜんぜん悲しくなかった。涙ひとつこぼれなかった」という。

当初私は、ほんとうは、けっこう仲のいい夫婦だったんじゃないかと思っていた。

というのも、私が自宅で、脳梗塞で寝たきりの父を介護していたとき、なにげなく父に、

「結婚、どうだった?」と尋ねると、

「ん、まあ、よかったよ」とにやっと笑っていたからだ。

父は父なりに、母を大切にしていたんじゃないか。

母は、そんな父の愛情が当たり前になってしまって、ある種の甘えで、父を嫌悪していたんじゃないか。

そんなふうに、私は推測していた。




ところが、母と同居してから、よくよく話を聞いてみると、それは私の誤解だとわかった。

母は、ほんとうに父のことが嫌いだったのだ。

どうしても好きになれない。

どうやら生理的に受け入れられず、げんなりするほど「嫌なヒト」だったと判明した。

じゃあ、そもそもどうして結婚したのか?

それは、母の実家に原因がある。

当時、母の継母と、継母の子どもふたりがいて、もともと母の居場所がなかったのだ。

それに、昭和30年代としては、すでに母は婚期を逸していた。

というわけで、母は結婚相談所に入会し、ひとりめの相手に断られ、ふたりめの相手と交際し、これが父なのだが、気が進まなかったものの結婚したらしい。




まあ、さいしょに会ったときから「うわ、イヤだなあ」と思ったそうで、その「イヤ」が、結局父が亡くなったいまでもつづいている。

ああ、そうなんだ。

べつに、母のわがままでもなんでもなくて、ほんとに嫌いだったんだね。

私にとっては「いいお父さん」でも、母にとっては「一生好きになれないヒト」だったんだ。

じゃ、しかたないね。

と、はじめて私は、母の気もちがわかった。

子どもって、「お父さんとお母さんは、仲良くしてほしい」と思うものだろう。

私は60歳すぎても「まだ子ども」で、いまだどこかで、母に「父の良さをわかってほしい」などと甘えていた。

しかし、いまようやく、母に対して「そんなに夫が嫌いだったのに、子どものためによくガマンしてきたね」と、いたわるような気もちが湧いてきたよ。

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