昨夜は萩尾望都のマンガを読みふけっていて、すっかり寝そびれてしまい、フトンに入ったのが今朝6時、起きたのが午後3時だった。読んでいたのは「ポーの一族」。中学生のときに連載されていたんだよね。いまから40年以上も昔だ。
いま読んだら作品のよさがすっごくよくわかる。逆に、昔はホントに未熟なコドモだったのでなんにもわかっていなかった。でも、わからないなりにも好きで何度も読んでいたので、当時を思い出してなつかしい。
それに、いまごろになってようやく「物語」っていいなあと思える。さらに、デザインの勉強を少しやったおかげで、マンガのよさも以前よりわかるような気がする。職業訓練校では「マンガが好き」というひとがおおぜいいたし、実際に描いているひともいた。
でも、コドモのころはマンガを読むことは「禁止事項」だったので、いまでも読んでいると後ろめたい。ありゃりゃ、コレもまだ母ちゃんの影響下からのがれられていないね。マンガを読んでいると罪悪感を覚えるよ。
べつに読みたかったら自由に読んでいいんだよ!と自分に許可を出す。もうじき56才になるというのに、私は中学生のようにオドオドしている。ま、それがありのままの自分で、悪いわけではないんだけど。
中学生以降は、親とうまくいかなくてつまらなかった。カウンセラー先生がよく言われるように、当時の自分を助けに行ってあげようかな? そのころの自分に手紙を書いてあげるといいそうだ。タイヘンだったね、つらかったねとなぐさめてあげる。
ただ、先生のおかげで、やっと親に感謝できるようになってきた。ほんの少しばかりオトナに近づいてきたわけだ。けれども、このごろはコドモっぽい自分も気に入っている。仕事をしていても「オトナの仕事」をやろうと思っていない。コドモっぽい自分なりにせいいっぱいやったら、それでいい。
「ポーの一族」は、14才で時が止まった少年が主人公でもあるし、なおさらに「永遠のこども」について考えさせられた。
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