母と同居して3ヵ月半たった。
90歳という高齢であり、ほとんど歩くのがおぼつかない状態の母。
この「要介護2」というシロモノが、じっさいにどんなモノか?
これについて、自分はまったく無知だったと思い知らされた。
いっちゃんびっくらこいたのは、「コケたら最後、自力ではまったく立ち上がれない」ってこと。
ただ、2回目にコケたとき、わりとスムーズにベッドへ移動させることに成功。
このとき、私はまったく力を使うことなく、時間も10分ほどで難なくおしまい。
なので、とりあえず「どうコケようともOK」となった。
ホネが折れていそうだったら、救急車を呼ぶだけ。
「私がベッドへ移動」or「救急車を呼ぶ」の2択だ。
なんだ、ぜんぜんたいしたことねーじゃん?
骨折だって、治療するのはお医者さんなんだから、あたしゃべつに余裕こいてたらよろしい。
なんかさあ、母ちゃんが、ずーっと「ココが痛い、アソコが痛い、寝付きが悪い、寝ざめが悪い、食欲がない、こんなはずじゃなかった、むかしはああだったこうだった、……」って、念仏みたいに唱えててさ。
あんまり「悪いトコ」が多すぎるもんだから、あ、ぜんぶお医者にヤらせようって思ったんだよ。
母ちゃん、もともと年がら年中、「ネガティブな話」をしとりましてな。
ああ、そうか、このヒトの「ライフワーク」は、たぶん「ネガティブ発信」なんだな。
ソレに気がついてからは、母ちゃんの言うコトを、あんまり「真に受けなくなった」。
母がブツブツ言っていても、ほほう、熱心にライフワークに励んでいるな、ぐらいにしか思わなくなった。
でも、母が「私に語ろうとしている行為」は、大切にしている。
うんうん、話をしたいんだねえ。
けれども「話の内容」は、ま、なんでもいいや。
さっき「ネガティブな話」だと、私はつい書いてしまったが、ネガティブとポジティブの選別も、ほんとは無いよね。
うんうん、なんでも言いたいコト、言いなはれ。
というわけで、だんだん「母の体調や言動」に関心がうすれてきた。
少し前までは、もっと「母の余生が、充実するにはどうしたらいいか?」とか、もうちょい考えていたんだけどね。
そんなことは、私があれこれ考えるより、母自身がよくわかっているかなって。
「私」にはネガティブそうに思える話でも、いや、案外そうではないかも。
母が眉間にシワを寄せていても、いや、べつに不幸ではないかも。
そして、「要介護なんちゃら」という数字だって、1 → 2 → 3 → 4 → 5という順番に、そうだ、不幸になるわけじゃないかも。
なんか、そこらへんが、ようやく腑に落ちてきた。