結局、「毛髪」というモノを、それこそ毛嫌いして生きてきて61年。
あたしゃ「坊主刈り」が最高にラクチン!とわかっていた。
でもさあ、パートの面接、受かんねーのよ。
履歴書の写真も、ちゃんと「坊主写真」に変更して応募しても、ゲゲッ! 書類選考すら通らねえ。
坊主があかんのか、オノレの経歴があかんのか、当時は47歳とまだ若いにもかかわらず、全落ちがつづく。
だが、そうこうしているうちに、やや毛が伸びたせいか、人手不足がヒドいせいか、ようやくコンビニで採用してもらえた。ふう。
コンビニのお客さんは、たぶん全員、私のことを「おっさん」とみなしていた。
「おい、にいちゃん」と呼びかけられることがしばしば。
そのコンビニは繁華街にあり、私は早朝シフトで6時~9時の勤務。
お客さんのなかには、「夜の仕事」が明けて、疲れた?いや酔いが冷めやらない?ヒトたちもいた。
いつも仏頂面で、ひどく投げやりなホストのおにーさんが印象に残っている。
あるとき、フラフラとした足取りでレジにやってきた、化粧がくずれたおねーさんは、私を見てこう言った。
「ふふ、あんたさあ、『オネエ』のヒト?」
あ、そっかー、そういう属性もあるのう。
と、私ははじめて気づいたが、うう、返事に困り、黙って商品をビニール袋に詰めていた。
当時は、まだ「性別のややこしさ」も自覚があった。
自分は、「あいまいな性自認」だという自覚ですねん。
だから、男にまちがえられたり、オネエと呼ばわれたりってのは、うれしかったねえ。
ただ、もともとヒト全般に対する興味が薄い。
とくに、母と同居してからは、あ、もうべつに「他人」はどうでもええわ、という気が強まった。
なんだかんだ言っても、私は「母ちゃんがいっちゃん好き」。
その気もちに、すなおになろうじゃないか。
さて、今年7月、2ヵ所の引っ越しで非常に忙しかった。
「私│遠方 → いまのマンションへ」と「母│サ高住 → いまのマンションへ」の2ヵ所ね。
で、ふと気づいたら、前回の散髪から7ヵ月もたっていた。
さすがに伸び放題で、落ち武者みてえだ。
しかし、毛なんかどーでもええんで、また坊主にしようか?とたくらんでいたら、
母ちゃん「坊主だけはやめてえ! 坊主禁止っ!」とうるせー。
けどな、母が入所していたサ高住ではよ、90代のばあちゃんたちは、みーんな超短髪だったらしい。
出張床屋さんが来てくれるそうだが、全員数センチの長さに、チョンチョンに刈るだけ。
みなさん、もう髪型に無関心で、洗髪やドライヤーを、ヘルパーさんにしてもらうにも、短時間で終わるほうがラクだから。
あたしも、ばあちゃん並みにラクしたい。
だけど、お母さまは、いまだに「ボブヘアー」でいらっしゃいます。
そして、前髪が伸びてくると、ご自分でこまめにカットなさっておられます。
う~ん、あたしゃどうしよう?
私の髪質は、母と似ており、太くて量が多い。
まあ、じゃあ、ボブでもええかいのう。
「効率第一」の自分が、まさか髪型を妥協できると思っていなかった。
しかも、母と「おそろい」なんてねえ。
でも、ちょっとすなおになると、そうしてみようかな?と、うん、やわらいだ気分になったのだ。
それで、近所のカット専門店で、ササッとカットしてもらった。
短めのショートボブで、後ろはやや刈上げ。
ひゃあ、こんなの、はじめてっすよ。
カットはすぐ終わり、ウチに帰ったら、母ちゃん「かわいい、かわいい、別人みたいにかわいい」
そうよろこぶ母ちゃんを見ていたら、ふうん、かつて坊主刈りにしたのは、もしかすると「拗ね」もあったかな?と気づく。
まあ、「拗ね」100パーセントじゃないけど、ゼロでもない。
母は、すなおで健気だ。
ソコは、私も見習いたいところ。
私は、自分の長所を「狡猾さ」だと思っているが、ズルさを失わずに「すなお」になりたい。