人間って、わざわざ生まれてきたからには、「ヤりたいこと」があるはず。
すいません、私は、そう思い込んでいた。
自分がヤりたいことはなんだろう、と高校生ぐらいから、あーだこーだ考えていた。
わりと長いあいだ、「ソレは職業のはず」と、これまた思い込んでいた。
「天職」ってコトバがキラリン♪と見えちゃってて、わはは、天職探しをムダにしとったのう。
じっさいには、天職が見つかるどころか、正社員をバックレたあとは「転職」しまくり。
で、結局、どこの職場でも使いモンにならなかった。
ほんま、自分でもあきれるけど、どこのパートも、まちがえる、忘れるの連発。
そもそも働くことが大嫌いなナマケモノっす。
だのに、18歳から59歳まで、自分を強制労働に駆りだしてさあ。
いま思うと、「天職やってるヒトって、カッコええのう」ってのが動機だった。
で、自分もカッコよくなりたいって、見栄張ったのがあかんかった。
しかし、60歳から年金を繰り上げ受給開始。
年金は月10万ちょっとだから、まあそこそこビンボーだが、これまでずっと、そのぐらいの収入でやってきたんで問題なし。
年金もらってからは、当たり前だけど「天職」なんて、まるっきり興味なくなる。
でも、「ヤりたいこと」について考えるのは大好き。
さいわい、30代~40代にやっていた山登りが、ダントツトップで抜きん出て楽しすぎた。
いやもう、いつお迎えが来てもOK!ってほど満喫した。
で、一時、心理学セミナーとかもハマッて、すっごくおもしろかった。
心理学については、親との関係に悩んでいたから、ソレを解決したいという思いもあった。
けどね。
まあ、お悩み解決をはるかに上回るのが、「おもしろい、興味津々、ただただ話を聴きたい」ってヤツ。
そうこうしているうちに、ピアノのレッスンを再開。
これまた「おもしろい、興味津々、ただただ弾きたい」という重篤な症状に。
こうして自分の人生を振り返ると、「ゼニにならんことにハマッて浮かれている」のが私だと、つくづくよくわかる。
んで、しあわせよ~ん♪
だから、つい「ヤりたいことヤったら → だれでもしあわせになれる」って、またまた思い込んじまった。
で、ココからがいけない。
じつは、母ちゃんが「不幸だ」と言いつのっている。
「生まれてからいままで、不幸の連続だ。
生まれてくるんじゃなかった」とおっしゃいます。
じゃあ、ええと、なんかさあ、「ヤりたいこと」ヤってみたらぁ?
って、あたしゃ、母ちゃんに勧めちゃってさあ。
わりと延々と、ふたりで話し合っていたんだよ。
母ちゃんのヤりたいことってなんだろう?
母ちゃんは、なにをヤったら「しあわせ」を感じるんだろう?
べつに90だからって、あきらめないでいいじゃない?
ヤりたいことがあれば、いまから少しでも楽しんでみたらどう?
しかし、母ちゃんの「ヤりたいこと」は、まったく見つからないのだ。