母は、すでに部分入れ歯が2ヵ所。
1ヵ所は、いいデキの入れ歯で、丸一日はめていてもだいじょうぶ。
もうひとつは、ずっとはめていると歯ぐきが痛くなる。
なので、硬いモノとか噛むときだけ、しかたなくはめてしのぐ。
母「あとで作った入れ歯は、歯医者さんがトシいってから作ったから、デキが悪いのよ。
お医者もトシ取ったらダメね」
デキの悪い入れ歯を、調整してもらうのは無料。
だが、通院のタクシー代は、もちろん母の負担。
4回通って、しまいには歯医者さんも、あきらめたらしく、
「食事のつどはめて、そのあとは、はずしてください」とサジを投げられたとのこと。
この歯医者さんに対する恨みつらみも「殿堂入り」。
でもまあ、3日に1回ぐらいかな、母ちゃんが呪いをかけているのは。
でさ、この「年寄り歯医者が作った、デキの悪い部分入れ歯」を、なるべくはめたくない。
だから、母の食事は、あるていど小さく切るようにしている。
まだまだ「刻み食」とまではいかない。
母の希望はというと、私が定規を持ってきて検討した。
母も私も「数字」が大好き。
こういうのは、いっしょに嬉々として測定する。
1センチ角は小さすぎ、2センチ角は大きすぎ、1.5センチ角が最適と落ち着いた。
ちなみに、ごはん(白いごはんね)1回分は「69g~71g」である。
ごはんはまとめて炊いて冷凍するが、その小分けの分量が、こう定まった。
「70gが最適」だが、ぴったり70gにするため、ごはん数粒をしゃもじで調節するのは時間がかかりすぎる。
2gの幅をもたせてあるのは、効率化のためだ。
で、「1.5センチ角」のハナシ。
スーパーで買ってきたコロッケも、1.5センチ角に切り分ける。
そして、その切り分けたひとつずつに、ソースを1滴ずつ垂らす。
「だいたいでいいよ」と母ちゃんは言ってくれるが、私は「厳密に1滴ずつ」かけたいのだ。
▼ソースの容器は、こんなカタチ。
不用意に傾けると、ドバッと出てしまうヤツ。
こいつで「1滴」出せるようになるまで、それなりに練習が必要だった。
だが、手の力をじゅうぶん抜いて、コントロールできるようにしたら、徐々に「1滴」が可能になった。
コレ、なにかに似ている!
酷似しているっ!
そう、ピアノの練習だっぺ。
ピアノはだなあ、
「一升瓶から、つねに確実に1滴を垂らす」ぐれえ、タイヘンっすよ!
私はいまピアノで、いくつかの課題を、自分で決めて取り組んでいる。
そのうちのひとつが「最弱音を出せるようにする」こと。
弱音を出すのは、私にとって非常にむずかしい。
とくに左手が、まったくデキていない。
・左手で、和音を、弱音でぴったりそろえる。
・左手で、十六分音符を、弱音のレガートで弾く。
どちらも「入り」は、ごくやわらかい弱音で均等に響かせる。
さらに困難なのは離鍵で、一音一音「鍵盤の浮力を感じながら」、細心の注意をはらい、じわーっと微細な余韻を残しつつ、これまた一音一音消えるようにする。
べつに単なる好みに過ぎないが、どういうわけか「最弱音」をめざしている。
音の強弱が、10段階あるとする、まあ勝手に。
だとしたら、そのうちの「1」という「最弱音」をめざしたくなったのだ。
不用意に「ドバッ」とソースをブッかけて、まあいいかと済ます「無神経さ」をやめたくなったのだ。
「一升瓶から、つねに確実に1滴を垂らせて、なおかつ、等間隔に300滴OK」とか、やりたいわけだ。
介護で外出ができないので、次回のレッスンがいつになるか、それはわからない。
けれども、ちょうどいいチャンスなので、じっくり「最弱音」に取り組む。
それが何ヵ月何年かかろうとも、自分が納得できるまで。