このところ母は、めっきり口数が少なくなった。
思い返すと、数日前に内科クリニックで、「慢性腎臓病」と伝えられた直後から、無言状態がつづいた。
さて、どうしたものか?
私はとりあえず、検査結果の用紙などを、母に渡さず、自分で保管していた。
母は、あまりにタイヘンなことが起こると、ソレについて考えるのを、しぜんに止めてしまう。
しばらく母の様子を見ていると、どうも腎臓のことは、その「停止カテゴリ」に分類されたようだ。
お医者さんからは、
「水分をたくさんとって、塩分をひかえてください」と言われた。
私は以前から、母に対して、
「お茶を飲め飲め」とひんぱんに持っていった。
しかし、いま私は、母になにかクドクド言うのを、いっさい止めた。
やれ、もっと飲めだの、やれ、足の位置があぶないだの、手すりの持ち方が悪いだの、タンパク質を取れだの、昆布は塩分が多いだの。
ほんま、「箸の上げ下ろしまで指図する」みてえなこと、やってたわ、あたし。
いちおう、お茶はいつでも飲めるよう、湯呑みに入れて母の近くへ置いてある。
それだけでいいか。
母の動作についても、なにも言わず、見守るだけにした。
前は、母の左腕をがっちり確保していたが、脇に軽く手を添えるだけにした。
「私自身」が、母の転倒を怖れなくなったからだ。
コロぶときはコロぶのだ。
私が、すべての転倒を防止できるわけじゃない。
なので、いまの私は、まるで黒子のように、ひっそりと控えている。
母から呼び出しのベルが鳴れば、すぐに行って、落ち着いて母に対応する。
終わって一段落したら、母の部屋を出て、ほかの用事に専念する。
母から相談事があっても、私の考えはとくだん言わない。
母がやりたいように、納得できるやりかたにしてもらう。
それが、私から見て危険そうに思えることでも、母の望みであれば、それでよしとする。
クリニックへの通院だが、母は「介護タクシーを使いたくない」というので、私のクルマで出かけることにした。
あまりしゃべらなくなった母の気もちを、推しはかると、いろんな不安や不快な思いが渦巻いているんじゃないか?
昨日の夕食では、
「上の階の騒音が気になって、それで体調が悪い」と、目を閉じたまま訴えていた。
騒音は、毎日聞こえるわけじゃない。
聞こえない日のほうが多い。
それは、母もわかっているのだが、
「いつ、また聞こえるかどうか、それが一日中気になって、滅入ってくる。
だから、食欲も出ない」という。
あ、いまはもう、腎臓のことを直接気にしていないようだな。
今日の母は、
「口内炎がデキて、痛くてたまらない。
もうなにを食べたらいいか、わからない」とため息をついていた。
じゃあ、とりあえずドラッグストアで、口内炎のクスリを買ってこようかな。
母がポツリと漏らすことばに対して、私も思うことはある。
でも、それをすぐに、私が母に話すのはやめた。
母から私に「どう思っている?」などと尋ねられたら、そのときひかえめに伝えたらいい。