自分が思ったことを、そのまま野放図に、相手にしゃべるって、ものすごく無神経なことだ。
とくに、家族に対して、ね。
「家族になら、なにを言ってもいい。なに言っても許される」という、それこそ「甘え」が、自分にあったと痛感している。
今年7月より母と同居してからも、私は母に言いたい放題だった。
とくに、母の身体に関することは、「母のためになる」という名目で、一から十まで口出しして、エラそうに小言を言い放っていた。
コレって結局、母を「支配」したかったんだな。
私は、母より「優位に立ちたかった」んだ。
それだけ。
そんなふうな「主導権争い」を、ああ、母と私はずーっとやっていたんだなあ。
だが、いま私は、母に対してほとんど話しかけない。
日常のことや用事に関しては、ごくふつうになごやかに会話する。
ただし、私が母に「こうしたらいい、ああしたらいい」は、意識してなにも言わなくなった。
私の態度が、このように変化したのは、意外なきっかけがある。
それはじつは、「私の体調の変化」。
私は以前、心臓の持病があり、しかしそれは手術によって完治した。
なんだけど、いまでも疲れやストレスが溜まると、心臓が不穏になる。
胸の圧迫感や動悸、息苦しさとかね。
なので、心臓クンがゴキゲン斜めになると、ああ、自分、ムリしてるんだなあってわかる。
んで、今回は11月に入ったころから、心臓のヤツ、文句垂れはじめてな。
胸苦しさや動悸が、徐々にヒドくなってきた。
ことに、母に対してしゃべっているときがヤバい。
声を出して話すと苦しいんで、必然的にしゃべるのを控えるようになってきた。
と同時に、私が母にあれこれ指図するのは、コントロールだなあ、という自覚もめばえてきたのだ。
つまり、いま思えば、私の心臓が、私に警告してくれたんだね。
「母ちゃんをクドクド叱るの、やめなはれ。
それは結局、あんた自身を窮地に追いやることになりまっせ。
あんたがホントにやりたいことは、だれかを支配することじゃねーだろ?」って。
だから、私は母に対して、なにかアドバイスめいたことを言うのを、すべて止めた。
それは、アドバイスじゃなくて、「支配、コントロール」だと、よくよくわかったからだ。
「身体が教えてくれるコト」は、ほかにもあった。
ふしぎなことに、心臓クンの不穏とおなじ時期に、耳にも異変があった。
左耳に耳鳴りが発生。
そして、右耳は「耳管開放症」になった。
これらも、疲れやストレス時にときどき発生する。
が、耳に関しては、母のことは無関係だった。
原因は「ピアノを弾いているときの歯ぎしり」だった。
いやあ、あたしゃ、ピアノ弾いているとき、自分が歯ぎしりしちょるなんて、ぜんぜん気がつかなかったべ。
そういえば、ずっと前、ピアノの先生に、
「笑顔になって弾いてください」とか、
「おうちで、口をポカンと開けて練習してみてください」とか、言われてたよ、たしかに。
でも、まさかね。
自分が、ギリギリ歯ぎしりしながら、ずーっと練習しとるとはね。
ああ、心臓のことと言い、耳がオカしいことと言い、自分の身体なのに、その身体が発するメッセージって、ほーんと気がつかないもんだねえ。
いま現在、日々改善しようと思っている。
母には黙して語らず。
ピアノは、呆けたように口を開けっぱなし。
ゆるゆるリラックスしつつ、粛々と毎日を過ごそう。