昨日、A病院へ行ったとき、胃ろう造設の日が決まる、と思い込んでいた。
でも、そうじゃなくて、胃ろうのくわしい説明だけだった。
手術日が決まるのは、また後日。
なので、やっぱり気分は落ち着かない。
たぶん、もっと落ち着かないのは、母ちゃんだろう。
いま入院しているK総合病院のこと、ものすごくイヤがっていたし。
毎日手紙を届けているから、こっちの事情はわかるはず。
しかし、母からの手紙は、これまで3通。
もちろん、私も自分の手紙で、
「しんどいから、私に手紙は書かないでいいですよ」と、たびたび記している。
いやあ、テレビも見たくないって言っていたから、ほんとしんどいんだと思う。
リハビリもなあ、もう、やらんでええと思うけど。
あまり先のことは考えていないが、なにせ、これからは「ホンモノの余生」だ。
なにもしたくないなら、ほんま、なーんもせんでええ。
とうとうごはんすら、食べたくなくなった。
ああ、これからの余生、母はなにを楽しみに生きていくのか?
けれども、母ちゃんの楽しみ、まだひとつだけ、ある。
それは、お花。
あのひと、お花さえあればいいらしい。
で、自分の葬式のとき、盛大にお花で埋め尽くしてほしいらしい。
というのは、ものすごくよく聞いていた。
でもさ、葬式じゃねえ。
なので、母がウチに帰ってきたら、お花を絶やさないようにしようと思っている。
なんつーか、母は、趣味らしい趣味がないヒトで、
そのせいか、わからんけど、いつも「つまらない、おもしろくない」とこぼしていた。
私は、ヤりたいことが、つねに湧いてくるんで、勝手におもしろい。
いまはまた、一時的にひとり暮らしに戻っているが、
じつは、ピアノと読書で、すんごく楽しい。
ごめんね、母ちゃん。
ピアノはバッハね。
で、読書は、吉村昭にどハマりしている。
吉村昭って、史実に基づいた記録文学や歴史文学に卓越した小説家。
もうさ、バッハと吉村昭があったら、ほかになんもいらんわー、みたいな感じで。
バッハの練習をねちねちやるのが、めっちゃ好き。
1小節を1時間練習とか、なんぼでもいけるわ。
吉村昭は、いま「間宮林蔵」を読んでいて、ええと、樺太の探索中なんだよ。
だから、いま現在、私のアタマのなかは、バッハ│フランス組曲第1番の2曲目の左手と、樺太の地名でいっぱいですねん。
林蔵、極寒の地で、いま凍傷になってるよう。
いやあ、間宮林蔵もすげえ男だし、バッハもすげえわ。
ただ、私は日本史がまったく白紙状態で、江戸時代とかさっぱりわからん。
間宮林蔵って、安永9年(1780年)生まれなんだけど、
ああ、ベートーベン(1770年生)より、10歳年下かあ、しかわかんねえ。
だからといって、世界史もぜんぜん知らんのだが。
ただ、バッハは1685年生まれで、私は、自分のクルマのナンバーを「1685」にしているよ。
で、母がまだ元気だったころは、趣味についてもいろいろ話していた。
母「春ちゃんのこと、聞いていたら、趣味がたくさんあって、すごくうらやましいわ」とのこと。
まあ、たしかに、山登りも放浪もやってたし、いま介護があっても、ウチんなかでできる楽しみは、まだまだあるし。
母の楽しみって、あれこれ考えているつもりだけど、これからもう少し開拓しないとね。