なんかヘンな「病気」にかかっているみたいで。
「ピアノの練習」と「吉村昭を読む」は、何杯でもおかわりできるが、
それ以外が、ぜんぜんダメ……という奇病。
ピアノ、弾きすぎると、やっぱり手に負担がかかるので、いちおう合計4時間でやめている。
う~ん、でも、なんともなかったら、痛くもカユくもなかったら、
てか、要するに若かったら、6時間とか8時間とか、そのぐらい練習してみたかった。
まあ、三十代~四十代のとき、山登りでは、ちょうどそのぐらいガシガシ行動していたんで、
つまり、ハマッているモノだったら、やっぱりそのぐらいドップリ浸かりたいわけだ。
山も、3~4時間ぐらいのハイキングも楽しかったけど、北アルプスとか縦走していて、
おう、もう時計ひと回りしちまったぜ!とかやってて、はは、12時間ほぼ歩きっぱなし。
山とピアノ、順番が逆だったら、ピアノでも「時計ひと回り」やってみたかった。
けど、61歳のいま、ちょぼちょぼ練習していても、そうだな、毎日3時間以上弾いていたら、ちょっとはマシになる。
レッスン受けていないんで、ほんとにマシかどうかわからんのう。
でも、ちみちみやっていると、あ、コレコレ、こんなふうにやりたかったのが、あ、わりと近いじゃん、いまっ!みたいな瞬間が味わえたりする。
しかし、そうなるまでには、結局「どれだけ『原理原則』にしたがって、忠実に練習するか」に尽きるなあ。
「原理原則」って、ピアノの先生に教えていただいた「弾きかた」のこと。
そのとおりの「弾きかた」に、パチッとウマくはまると、狙っている表現にかなり近くなる。
ってなことが、すんごくおもしろい。
おもしろすぎるのは、吉村昭も。
ほんと、こっちもどれ読んでも、ナメ回したいほどおもしろすぎて、ふう。
ようやっと、小説の楽しみがわかりつつあるので、ええいっ、読書用にもうひとり自分が欲しいわいっ!
こうなると、時間のやりくりがむずかしい。
ほんまは、「ピアノ用にひとり」「聴く用にひとり」「読書用にひとり」「介護用にひとり」配置できるとええけど。
あ、「家事・雑用にひとり」も。
家事と雑用がいっちゃんやりたくねえ。
介護は、いまのところそんなにタイヘンでもないし、時間に余裕があったら、べったり専用介護でもかまわない。
しかし、家事だけはやる気が出ない。
ええと、2週間ぐらいゴミ出しもしてないぞ。