冷たい雨が降っており、あまり外に出たくない気分。
ずっと関西にいるから、冬は雨ぐらいでもおっくうになる、という体たらく。
山登りをしていたころは、しばらく冬山にも行って、雪景色もよく見たけど、
それは娯楽の範囲であって、雪の生活に苦労したことはない。
今日、病院の受付へ行くと、母からの手紙を渡してくれた。
封筒には、メモがクリップで添えられており、
「この手紙は、昨日(四日)に書きましたが
渡せなかったので今日になりました
了承して下さいね
春子様
二月五日」
と書かれていた。
まあ、なんと律儀な。
急ぎの用事でもあるのかと、受付から離れた待合いのイスに座って、手紙を開いた。
とくだん用はなく、私の手紙を気づかって、お礼のことばがこまごまと綴られていた。
ところどころ、字が乱れているのが、痛々しい。
「胃ろうの痛みも少しずつ治まりつつあります」とのこと。
ってことは、いまもまだ、痛いんだなあ。
延命治療として、点滴 → 鼻チューブ → 胃ろう造設と、ずいぶん痛い目にばかり遭わせてしまった。
私はうっかり、胃ろうがゴール!ぐらいに思ってしまったが、
延命ねえ、たしかに生き延びてもらえたけど、ごめんね、痛くてつらくて。
ただ、今回の手紙には「しんどい」と書いていなくて、そこはホッとする。
これから先、母が少しでも、しんどいことなく、トシを重ねていってほしい。
そう思うんだけど、こればっかりは、どうなるかほんとわからない。
てか、私は油断しすぎていた。
「これまでそこそこ元気」だったから、「これからもずーっと元気」だと思い込んでいた。
母が元いたサ高住では、95歳前後のヒトが圧倒的に多かったので、
まあ、私も母も、なんの根拠もなく、
「うん、95歳までは元気でいられて当たり前」と思っていた。
いやあ、私がアホすぎたよ。
ネットで調べれば、いくらでも情報が手に入るのに、高齢者の実態に無関心すぎた。
しかたがない。
せめてこれからは、母の生活が充実するように工夫しよう。
そのひとつとして、できる限り「ヘルパーさんをウチに入れない」こと。
入院前は、私がラクをしたかったので、週3回、ヘルパーさんに入浴介助に来てもらっていた。
けど、これほんと、メリットって「私がラクチン」なだけ。
母は、イヤなのをずっとガマンしていた。
ヘルパーさんは、いろんなヒトが来る。
おおむねイイヒトだけど、母はものすごく気を使って、とくに「聞き役」をやってしまう。
それ、母はサービスでやってるんだけど、ヘルパーさんは気がつかない。
なかには、「自分の話を聞きたいんだ」とカン違いして、介助が終わったあとも長々話しているヒトもいた。
当然、そんなあと、母は疲れ切ってグッタリしているし、キゲンも悪くなる。
そうなっているのを、私は気づいていたけど、まあ、知らんふりしていた。
自分がラクをしたかったんで。
でも、母がイヤなのをわかっているんだったら、やっぱり私が介助しようかな、と。
そうしないと、将来、私が後悔するなあ。
だって、これからどのぐらい元気でいられるか、わかんないでしょ?
なにかの拍子で、またあっという間に「瀬戸際」になるかもしれない。
そのとき、ああ、お風呂ぐらい入れてあげたらよかった!って、必ず後悔するよな。
まあ、だから、結局これも「自分の都合」に過ぎないけど、
「自分が後悔しないため」に、ヘルパーさんの入浴介助はやめておこう。