去年11月30日、母が救急車で搬送されて、30分後ぐらいに、
お医者さんから「点滴だけですと、1ヵ月ぐらいです」と言われた。
そういうおっしゃり様だったので、さいしょは、なんのことかわからなかった。
病院に運び込まれて、検査や診察が終わるまで、私はキンドルを読むつもりだった。
なので、待合い室のイスに座ると、すぐに吉村昭を読んでいたわけだ。
だが、朝早いので、私服のままであらわれた先生に、声をかけられて、私はパタンとキンドルを閉じ、そして、そういうことばを聞いたのだ。
さすがに、続きを読むのをやめて、いったいどうしよう?と途方に暮れた。
その後、すったもんだのあげく、延命治療の希望を出して、いまはもう、胃ろう造設も終わった状態だ。
積極的?な延命開始まで、私はあちこちの病院に相談に行った。
母の、元主治医先生にも相談しに行ったが、
「たぶん、老衰でしょう」とのこと。
この元主治医先生こそ、母を長年診察してきただけに、そうか、やっぱり「老衰」なんだな、といまも腑に落ちる。
だから、しぜんにまかせれば、母は去年のうちに、アチラ側へ行っていたのだ。
いま、コチラ側にまだ居るのは、ほんと人為的な延命治療のおかげ。
まあ、人為的に生かすのが医療だろうから、良い悪いの判断はしなくていいか。
さいわい、母は順調に回復しているようで、たぶんだれからも責められないかも。
人工栄養の効果はめざましく、とくに肌のハリやツヤが、見ちがえるほど。
このごろ、胃ろうの延命は、風当たりが強い。
「枯れていく高齢者には、尊厳死がふさわしい」ようなのだが、
母ちゃんみたいに、ツヤツヤプリプリになると、枯れるにはほど遠く、
あの甲高いおしゃべりを聞いたら、どんな尊厳死論者でも、たじろいでしまいそうだ。
けれども、いったんは「今わの際」にいたことを忘れないようにしないと。
いろいろネットを漁っていたら、90過ぎた高齢者は、いつなんどき、どうなってもオカしくないそうだとわかった。
たしか、「低空飛行の飛行機」だとか、「平均台をかろうじて歩く」だとか、
要するに、ほんのちょっとバランスが崩れたら、総崩れになっちまう、みたいな話が散見された。
なので、いまは元気そうにしていても、それがいつまでつづくかわからない。
そもそも「お迎え」の時期は、だれにもわからんが、
一度は「お迎え直前」に行って帰ってきたヒトなんだから、そのつもりでいないと、ね。
いま、私が考えているのは、
「母が笑顔でいられる時間を増やす」こと。
母ちゃん、もともと「やりたいこと」がないヒトなんでねえ。
私は「やりたいこと、てんこ盛り」人間なので、ついつい母にも「やりたいこと、やったら~?」と勧めていた。
しかし、母は「やりたいこと」がないみたいだ。
ああ、うん、そういうヒトもいるんだな。
だから、そういう「やりたいこと」を探るより、「笑顔になれる時間」を増やすほうがよさそうだ。
で、まあ、そんなカンタンにホイホイ見つからないだろう。
しかも「食のたのしみ」が、いまはなくなったんで、余計にヤバい。
退院してウチに帰ってきたら、まあ、試行錯誤しようと思う。
私は「試行錯誤」とか「あの手この手」とか、かなり好きなので、ソレはいまから楽しみだね。