「小さいおばあさん」になってしまった母

日々のあれこれ

2週間ごとなら、面会が許されている。

その2週間が、あれ? 早く感じた。

それはたぶん、もう安心しているからだろう。

胃ろう造設が終わって、ちょうど3週間がたった。

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ネットで見ると、だいたい1~2週間で退院のようなので、もうそろそろ?

とりあえず、「おおよその退院予定を、わかるようならば教えてください」みたいな文書を作って、面会前に、詰め所へお渡ししておいた。

前回の面会までは急性期病棟だったが、今回は「地域包括ケア病棟」ではじめて会う。

2週間ぶりの母ちゃんは、変わりなくおおむね元気そうだった。

トイレは、シルバーカーを押して行けるようになっていた。

車椅子は、もう使っていないらしい。




わ、それはすごいことなんだが、う~ん、万一の場合を考えるとね。

「昨日から、ひとりでトイレ行っちゃった」と言う。

う~ん、う~ん。

私「看護師さんに見守り、頼みにくいよねえ?」

「そうなの。コールしてもなかなか来てくれないし」

「そうだよねえ、けどね、う~ん……」

そりゃあ、トイレはひとりで自由に行きたいわな。

万一の転倒って、そうそう、病院側からは「見守りなしで、本人さんが勝手に転倒した場合、こちらは責任取れません」と、あらかじめちゃんと聞いている。

そのことも、母には手紙で伝えてある。

まあ、責任はともかく、転倒→骨折になったら、目も当てられない。




せっかくここまで回復したのが、水の泡。

私「あのー、だれでもそうだけど、転ぼうと思って転ぶヒトいないし。

みんな、『転ばない』と思っていて、だのに転んで骨折だから。

ごめんねー、ほんと悪いけど、入院しているうちは、なんとかガマンして見守り付きで、トイレ行ってほしいなあ」

「うん、わかったわ。そうするわ」

母は、ほんとすなおに、すぐ応じてくれた。

そっかー、シルバーカーで歩けるほど、リハビリがんばったんだなあ、と感慨深いが、

ひとりでトイレは、ウチに帰ってきてからも、どうだろうか?

一時は寝たきりで酸素吸入を受けていたのに、いまは、ベッドにちょこんと腰かけている。

その母が、今日はなぜか急に「小さいおばあさん」に見えた。

いや、これまで母のこと、「おばあさん」として見たことがなくて。




母ちゃんは「母ちゃん」にしか見えなかった。

母が私のことを「いまも中学生ぐらいにしか見えない」と、前に言ってたが、

そう、母は私を見て「還暦すぎのばあさん」とは思えないのだ。

同じように、私もまた、母を「おばあさん」とは感じたことがなかったのに、

今日はじめて「小さいおばあさん」に見えてしまった。

そして、あまりにもはかなげでモロい「おばあさん」に見えて、目がうるんでしまった。

なんだろね?

私はいま、ようやく「コドモの立場」を脱したのかね?

この「小さいおばあさん」の余生が、できるだけしあわせであってほしいと、

生まれてはじめて切実に願った。

私が、だれかに対して、そんな思いをいだいたのは、ほんとうにはじめてだった。

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