去年12月中旬から、ずーっと人口栄養で生きている母。
ちょうど3ヵ月経ったね。
で、いまもまだ、口から食べる気がないと言う。
もともと、些細なことで食欲がなくなるタチなので、「食べたくない」というのが、そんなに不自然ではない。
人間、ずっと食べなかったら「お迎え」が来るのは当然だ。
でも、母はそこんとこがウマくつながらなくて、なんか印象としては、まるで拒食症みたいな感じで食べなくなった。
しかし、入院先のお医者さんは「食べられなくなったら、もうおうちに帰ってください」とおっしゃった。
これはすったもんだのあげく、胃ろう造設を外部病院ですることになったが、ほんとは「去年年末ぐらいで、あの世へ旅立つ」ってなスケジュールだった。
後日私は、長年母の主治医だった先生にお話を聞いたら、「たぶん老衰でしょう」とのこと。
これまで母のことを6年ほど診てきた先生だ。
この先生こそ、いちばん母の経緯をご存じなので、そうか、やっぱり老衰なんだと腑に落ちた。
老衰の兆候は、いくつかあるが、母の場合、ちょうど2年まえの腰椎圧迫骨折がはじまりじゃないかね。
このときの骨折は、コロんだわけでもなく、勝手にしぜんにクシャッと腰のあたりの背骨が折れたのだ。
で、3ヵ月安静が必要となり、サ高住でしかたなく寝たきりに。
その後、母いわく「味覚が変わって、なにを食べてもおいしくなくなった」とのこと。
サ高住ではリハビリの対応がなく、母は自分で少しずつ歩く練習をして、なんとかシルバーカーで歩けるようにはなった。
そして、去年7月からは、サ高住を退所して私と同居。
いっしょに住みはじめた直後は、モリモリ食べていた。
サ高住での食事メニューは限られている。フルーツなんかまったく出ない。
だから、サ高住では一生食べられないはずのスイカとかメロン、ブドウを毎日食べて大よろこび。
たこ焼き、お好み焼き、やきそば、握り寿司、冷やしそうめん、ざるそば、こういうモノばかり食べていたなあ。
いま思うと、ギリギリ間に合ってよかった。
あのままサ高住で、好物を食べることなく、老衰を迎えるなんて。
間一髪で、サ高住を出て、とりあえず好きなモノを好きなだけ食べる時期を経験できて、ほんとよかったな。
そういえば、8年まえに亡くなった父も、私が一時介護していたとき、菓子パンをドカ食いしていた。
とくにアンパンが大好きで、一度に3個とか平気で食べて、翌日下痢してオムツが大惨事。
それでも欲しがったら、好きなように食べてもらったけど、アレもよかったなあ。
寝たきりになったら、ほとんど楽しみがなくなるんだから、その前の時期に欲しいモンは、なんでも食べておいてもらって正解。