5:45起床。車内温度24.2度。さすがに毛布1枚でも寒くない。もうしばらく寝ていたかったのに早く目が覚めて起き出した。でも、朝ゆっくりインスタントコーヒーを飲みながら、地図をながめる時間がとても好き。
さて、亡くなった父の遺品を整理していたとき、家系のメモ書きが出てきた。父手書きの覚え書きで、それを見ると、私の母方のほうの親戚は北海道に住んでいるひとが多かったのだ。母方の親戚が北海道にたくさんいるとは、母からまったく聞いたことがなかったのでひどく驚いた。
と同時に、私が北海道に惹かれるのはご先祖さまゆかりだからかとうれしくも思った。ただ、いつのころから北海道にいるのかはわからない。曾祖父は養子に出されているので、私のご先祖が北海道開拓民というわけではなさそうだ。
しかし、父が二十数年まえに残した記録によると、私の母方の親戚のうち19人が北海道在住で住所も記されている。おもに十勝地方だ。そのうちのひとり、私の祖父の兄にあたるひとの長男、つまり私の母の従兄も帯広市に住んでいるようだった。
それで、今回思い切ってその住所へ行ってみることにした。といっても、私の両親は親戚付き合いをほとんどしていなかったので、これまで交流は皆無である。とくに母は生い立ちが複雑だったので、私は母方の祖母に会ったことがない。写真もないのでナゾのおばあさんである。
まあ、結局母方の祖父に関しての情報だけがわかったので、それならばやっぱりちょっとのぞいてみたくなったのだ。
緊張しながら、母の従兄の住所をナビにセットしてみた。当たり前だが、ナビは瞬時に経路を表示してくれる。昨夜の車中泊地、道の駅「おとふけ」から8キロのところだった。あっけない。
さっそくナビにしたがって走り出す。最後の曲がり角を曲がりそこねてグルグル回り、ようやくその家の近くまでたどり着いた。クルマから降りて恐る恐る歩いてみると、町内案内図がみつかった。昔はよくあった個人宅名がそのままわかる案内板だ。
ポカンと口を開けて見つめていたら……あ、あった! 母の旧姓の苗字がたしかにあった! 案内板からすぐのところに、その家はあった。二階建てのそれほど大きくない簡素な家だった。表札を見ると、母の従兄の氏名が記されていた。
そうか、母の従兄は、もしかしたらまだ健在なのかもしれない。そう思うと感慨深くもありほっとした。そして、こっそりとその家の写真を撮った。妹にも見せたかったからだ。
すると、そのすぐあとに「どうされましたか?」と後ろから声をかけられた。びっくりして振り返ると、私と同年代ぐらいの女性が立っている。
女性は「なにか調査ですか?」と言うので、私は「いえいえ、すみません、遠い親戚のウチなので……私は〇〇から旅行に来たのですが、亡くなった父がこちらの住所の記録を残していたので、すみません、ついおうちを見たくなって来ただけなんです」
女性は表情をやわらげて、「それならばお訪ねになったらいいのに。たぶんおうちにいらっしゃいますよ。お会いになれますよ」と言ってくれた。私は、ああ、だれがうちにいるのかなと一瞬思った。母の従兄であれば相当高齢だろうし、そのひとの子どもさんだろうか。子どもならば私と同世代なんだろう。
しかし、このうちと直接関係のある私の祖父は、もう40年もまえに亡くなっているので、いまここで私が訪問するのはあまりにも失礼だ。私はその女性に「せっかくですが、とても遠い親戚ですので遠慮させていただきます。勝手に失礼しました」とていねいにお詫びして、すぐにその場を離れた。
クルマを運転しながらもいろいろな思いが浮かんでくる。そうか、この地に長年住んでいるんだなあ。私の、おじいさんのお兄さんの息子が元気でいるかもしれないんだ。その子どもたちは、私と同じくきっと50代で、もう孫もいるかもしれない。もともとはひいおじいさん一人だったのに、その子孫は十数人も増えていてすごいなあ。
「祖父母の兄弟の孫」というのは「はとこ」になるそうだ。6親等はなれていることになる。ずいぶん遠い血筋に思えるが、民法では「6親等内の血族」を「親族」としているので、はとこは親族らしい。そして、私には「はとこ」がどっさりいるようだ。ふふ、みんないっしょにがんばろうな!
長くなったので、観光は別記事にする。