今朝目が覚めつつあるとき、「いまどこにいるのだろう?」とぼんやり考えていた。
うん? そんなにクルマが通る音が聞こえないから、車中泊が少ない道の駅だよなあ、とすると「ニセコビュープラザ」じゃないな、それなら、ええと、ニセコでクルマの少ない道の駅といったらどこだったかな?
とここまで考えたとき、目が開いてきてうっすら自分の部屋が見えたので、ああそうだ、もうウチに帰ってきていたんだなとやっと気がついた。
自分がまだニセコにいると勘違いをしていたことがとてもうれしかったけれど、同時に、ウチにいることを思い出してすごくホッとした。
やっぱり車上生活って不便だった。そして、天候の影響をモロに受けるのでしんどかった。
不便さと暑さ寒さがタイヘンでございましたのよ、ふう。
でもねえ、若いころ、といっても三十代四十代だが、そのころはここまでコタえなかったんだ。
いちばん元気だったのは三十代後半かな? 山登りにもすっかり慣れて底が抜けたみたいにあちこち歩き回っていた。
そんな時分は、暑かろうが寒かろうがぜんぜん気にならないし、せいぜいどしゃ降りのときに野宿するのがめんどーだなあと思うくらいだった。
それがいまでは、完全なシェルターであるクルマで寝泊まりしていても、こんなに疲れるようになってしまった。
よく「他人と比べてはいけない」という。
「私は私、ヒトはヒト」という区別は、べつに心理学でなくても常識で、とにかくヒトと比べるのはお門ちがいだとよくわかっているつもりだ。
しかし、こんなに体力がおとろえてくると「『過去の自分』と比べてはいけない」ということも認識せんとあかんなあ。
心理学ではよく「過去を手放す」という言いかたをするけれど、ホントにきちんとソレに向き合わないといけない。
ゴリゴリ山に登っていたのは「過去の自分」だから、「いまの自分」とは無関係だ。
よし、きっぱりと決別しよう! むかしはあーだった、こーだったと言うのは今日で最後にするぞ!
で、いまを生きないとね。
放浪で出会った景色が、どう生きたらいいのかを示唆してくれているんだから、それを少しずつでも実行しないとね。
私がいちばん好きなことは、たぶん「山をながめること」だと思う。
もちろん、ちょっとでも登れたらいっそうながめがよくなるから「山に登ること」もふくめていい。
べつに「山」だけにこだわることなく、好きなことはもれなくぜんぶ寄せ集めたらいいんだ。
クルマも好きだし、しゃれたカフェもいい。ミュージアム、ホテルも忘れずに。
そしてなによりも大切なのが、潤沢な「時間」。
やりたいことや好きなことをすべて実現して生きることを「ライフワークを生きている」というそうだ。
じゃあ、どうしたらライフワークを生きられるのか?というと、それはカウンセラー先生がちゃんと一冊の本にまとめているので、これから勉強しようと思っている。