私の母は、いつも自分の不幸ばかりなげきつづけていた。
自分の周りの人間のせいで、自分はこんなに不しあわせで、私をこんなひどい目に遭わせたヤツラを呪い殺したいと、口を開けばそんなことばかり言っていた。
私は、子どものころから何十年もそう聞かされてきたので、すっかりそのとおりだと信じ込んでいたが、え? ソレって本当のことだろうか?
少なくとも、私の父は母のことをとても大切にしていた。
不器用なひとだから、わかりやすい愛情表現なんてまったくできなかったが、いつも母が少しでも満足できるようにあれこれ行動していた。
父は寝たきりから認知症になってしまったが、あるとき涙をポロポロこぼしているので、私が「どうしたの? 大丈夫?」とたずねたら、母のなまえを呼んで「あの子はかわいそうな子や」と言って、またハラハラと涙を流した。
母が実母に去られた苦しみを、父はだれよりもよくわかっていたのだと思う。
父にはとてもおよばないけれど、私も母のためにできるだけのことはしたつもりだ。
けれども、母は不満ばかりつのらせる。99がよくなっても、たった1つだけが不満だったら、すべてがダメになってしまう。
しかし、ふと思った。
母は、ほんとうはしあわせなのかもしれない。
しあわせだからこそ、もしかするとダダをこねているのかもしれない。
6つの女のコで時間が止まってしまった母は、ダンナや子どもに愛されているからこそ、安心して自由に不満をぶちまけることができる。
いや、それは不満ではなくて、もしかすると案外「母の愛情表現」なのかもしれない。
なんだ、そうだったんだ。
ちょっとわかりにくかったけれど、アレはグチや呪いじゃなくて、愛のことばがちょびっと変形したものだったんだね。
私は、小さいころからすべて母の言うことにしたがってきた。
学校も就職も、着るものも髪型も、ありとあらゆることを母が決めてきた。
母の求めに応じて「一生結婚しませんから安心してください」という念書も書いた。
けれども、ここ数年は「本来の自分」を生きることを考えている。
母の価値観をそれはそれで尊重するけれども、母から離れて、さてそれで自分はどう生きていったらいいのだろうか?
一年前に職業訓練校へ行ったときも、そんなふうに思っていたので、就活のグループワークのとき、私は「高校も就職も母の言うとおりにしましたが、これからは自分でどういう仕事をするか考えてみたいと思います」というようなことを話した。
そうしたら、ひとりの若い女性が目を輝かせて「お母さまの望みをぜんぶかなえてあげたなんて、とてもすばらしいですね」という。
一瞬あっけに取られた。
五十をとうに超えているのに、いまごろ親離れ宣言をするなんて、みんなにあきれられるとしか思っていなかったからだ。
しかし、なんと純真なとらえかただろうと虚を突かれた。
そうだね、彼女の言うとおりかもしれないね。
そして、だからこそ母はいましあわせなんだよね。
私もいまは、母の選んだ学校や会社に行ってほんとうによかったと思っている。
親はやっぱり子どものことを、深いレベルのところで非常によく理解している。
弱くてすぐにケツを割る私が、苦労しなくて済む道を母はちゃんと選んでくれたのだ。
で、そろそろほんとうに親離れして思春期に進もうかと思う。
かなり遅れたので更年期とカブッてしまったが、まあこれが私のペースなのでちっともかまわない。