いや、働くのは大キラいだよ。ホントは1分たりとも仕事なんかしたくない。
私は遊ぶのが大好きなんだ。山でずっとボケーッとしていたい。
ウチに帰ったら帰ったで、YouTubeを延々と見ていたい。ネット漬けになっていたい。
だのに、今日はうっかり仕事もほんの少しおもしろいかね?と思ってしまった。
うげっ、そんなふうに感じるのもヤだね。
どういうときに「うっかりカン違い」をするかというと、たとえばお客さんがよろこんでくれたときとか。
まあね、長いあいだ引きこもりだったときに、心理学のセミナーやカウンセリングをどっさり受けていたから、その副産物でお客さんのツボなんかがある程度わかったりする。
カウンセラー先生に「『事実』ではなく『感情』に注目せよ」とさんざん言われてきたので、それをだな、電話応対に取り入れているだけだ。
で、いかにも感に入ったように相づちを打っていると、なかにはよろこんでくれるお客さんもいるのだ。
コレってじつは、私自身が、カウンセラー先生に自分のハナシを聞いてもらっているときに、先生のリアクションですごくうれしかったヤツをマネしている。
私がわかってもらいたかったことが、先生に通じた瞬間のリアクションだ。
以前から通っているカウンセラー先生のリアクションはもちろん、単発で会ってもらったほかのカウンセラーのヒトのマネもしている。
それで、まあお客さんにはちょっと失礼だけど、カウンセラーのマネしてたら、ホンマにね、お客さんはうれしそうにしてくれるねえ。
ホンット、モチはモチ屋で、ヒトの話を聞きまくる専門家がカウンセラーだけに、そんなふうにやってたら確かにウマいこといくわ。
そいでうっかり、私もうれしくなったりしてしまう。ふう。
「うっかりカン違い」を誘発する要因は、もうひとつある。
同僚や上司のひとたちの反応で、またうっかり「仕事も悪くないなあ」なんてカン違いしてしまう。
今日も、ある1本の電話を終えたら、隣の席のパートさんが「春子さんもだいぶん慣れてきたね」とニコニコした。
帰り際に、忙しそうな上司にあいさつをすると、顔を上げてしっかり私のほうを見て「お疲れさまでした」とこれまた笑顔で返してくれる。
おいおい、そんなにみんなヘラヘラせんでエエのに。
もっとドライでいいんだけどな。ワシ、そないに力入れて仕事する気ないんやけど。
けれども、ココはいい会社なんだよね。
たかがパートのおばちゃんでも、ちゃんと大切にしてくれるんだということが、よくわかってきた。
そして、結局「ヒト」から好意をしめしてもらって、私はうれしいんだよね。
それがなにを意味するか?
それは、私が「寂しい」ということだ。愛情を欲しがっているということだ。
私はそのことをすなおに認めよう。
そして、みんなが差し出してくれる愛をしっかり受け取りたい。