自分のココロのある部分は、まだやっぱり母ちゃんに支配されていて、「ピアノを弾くな」「大学なんてもってのほか」っていう強烈な禁止メッセージを発している。
そもそも母ちゃんとの関係をなんとかしたいと思って、二十代のころから心理学の本とかよく読んできて、ここ数年はカウンセリングやセミナーでじかに勉強してきたから、まあね、こういう強固なタブーがあるからこそ、人生がおもしろくなるんだろなとも思える。
だって、そこまで自分に禁止しているとこを突破できれば、それこそ無上のよろこびにひたれるでしょ?
ただいま「罪悪感」てんこ盛り状態なんだが、そういう自分をちょっと離れて観察できる視点もできていて、ふふ、なかなかおもろい。
ピアノは、自分にとってやっぱり「最重要課題」のようだ。
2年ほどまえに心理学セミナーでやってもらったイメージワークでも、音楽関連のイメージがぶわーっと湧いて出てきたしね。
ピアノのレッスンを受けているとき、先生の特定のことばにミョーな反応をすることがある。
そのことばを聞くと、私のココロのシャッターが降りてしまう。思考停止状態。
心理学セミナーで習っているから、ああ、そういうときはソコにこそ「地雷」が埋まってるやんってわかってるけど、「ぜったい見たくないなにか」だからやっぱりシャッター降ろして聞かなかったことにしていた。
なんだけど、レッスンのメモを読み返していると、なぜか先生もソコに違和感を覚えているようだ。
もちろんピアノに関することだけど、具体的にその内容を書けなくてごめんね。
ふむふむ、先生も何度か口にされているということは、つまり私自身がなにかしら先生に伝えたくて、それを先生が感知されているんだろうね。
先生のまえで演奏していると、すべてが筒抜けって感じ。
なまじ話をするよりか、音楽のほうがすべてわかってもらえる。
でも、私が演奏で伝えていることと、私が話していることとのあいだにギャップがあるから、先生は「なぜ?どうして?」って思われているんだろうなあ。
じゃあ、やっぱり「地雷」の正体を見極めないといけないね。
で、「地雷」はじつは「感情」なのだ。「感じたくなかった過去の感情」が地雷となって、ココロの奥に埋まっている。
なにかの拍子でその地雷に触れられると、ココロがザワザワするんだよ。
ええと、でもこのままの状態はよろしくないので、やっぱり地雷撤去に取りかかろう。
やり方は、カウンセラーO先生に教わっている。あの音楽家でもあるO先生ね。
O先生はいつもこう言っている。
「感情は、感じてあげることで『成仏』するんですよ」