ワシは中学1年の冬までピアノを習っておったけど、なんかねえ、そのS先生に教えてもらったことって丸っきり覚えとらんのよ。
かろうじて思い出せるのは、つぎのふたつだけ。
・離れた音を弾くまえには、その位置へすばやく移動しておくこと。
・1拍だけの音符を見ないで、せめて1小節分は見られるようにすること。
何年も習ったのに、なんでコレだけしか思い出せないんやろ?
当時のピアノレッスンって、カスミがかかったみたいにぼやーっとして、ほとんど思い出せない。
発表会もあったのは覚えているけど、何の曲弾いたか?ぜんぜんわからん。
もしかすると、ピアノ関連は相当強力に「抑圧」してきたから、まだなにも思い出せないのかもしれない。
ただ、S先生についてうすぼんやり印象をたどると、たぶん、ワシがあまりにもアホなコだったから、あきらめていたような感じがする。
で、そんなにいろいろむずかしいことは言わなかったんじゃねーの?
言ってもわからんコには、やっぱり言わんでしょ?
アホって、なにがどうアホなのかっちゅーと、「音楽の常識」みたいなのがぜんぜんわかってなかった。
ワシ、40才すぎるまで、音の「強弱」も聞き取れなかったんだ。ピアニストの違いもぜんぜんわからなかった。
ようやくわかったのは、40すぎて、たまたまピアニストB氏のCDを聴いたとき。
B氏のシューベルトソナタ21番を聴いて、生まれてはじめて、ああそうか! 音楽ってこういうものだったんだ!って雷に打たれた。
B氏のCDをいろいろ聴いているうちに、ようやっと強弱であったり、拍子感だったり、声部の弾き分けだったりがわかってきた。
でも、そういうのって、わかるコはきっと小学生でもわかるんだろな。
ワシは、ぜんっぜんわからんコやった。それで、S先生は「このコはあかんなあ」ってずっと思ってたんだろ。
いやいや、サジ投げてもうてて正しかったっス。だって結局、40すぎるまでわからんニンゲンやったから。
いまは、ある程度それなりに「わかる」ような気がする。
ソレって、すべてB氏の演奏と著作のおかげだ。
B氏の音楽エッセイは何冊か日本語訳も出ているので、少しは読んでいる。エッセイっちゅーても論文みたいにむずかしいのが多いけど。
でも、いまのピアノの先生がB氏とまったく同じことを話されたりするので、ああやっぱり、B氏のおかげでワシはちょびっと変わったんだなあと思う。
そいでさ、あの世に行ったら、真っ先にS先生のとこへ行って謝りたい。
「すいません、アホなコで申し訳ありませんでしたっ! あれから30年たったらやっとわかったんです。そんで、やっぱりピアノやりたくて57才からまた習ったんです」
またピアノ習ってるって言ったら、きっとS先生はよろこんでくれるね。