カゼ引いてもうたのでしんどい。それでも、ホゲフガ商店にはまだたったの三日目だから、なんとかがんばらないといけない。
で、ついつい体調のせいにしてしまいそうだが、どうもね、真剣じゃねえ。いや、そんな気分でいるとまたクビになりそうなんやけど、全力尽くす姿勢が足りんわ。せっかく前の会社がクビにしてくれて、おお、そうや、ワシ謙虚さがぜんぜんなかった、ソレがあかんやないかって言うとったけど、いまの商店でもまた文句が出そうになったわ。
たとえば、レジ打ちのとき、レジは商品の値段そのものしか打たない。おつりがあるときは暗算して返す。ワシ、その暗算が怖くてようできへんねん。みなさん、商品価格を覚えているからさっさとおつりを返しているけど、ワシは電卓を使わんとできへん。
てか、ワシのホンネは、いやいや、いくら慣れてもおカネのやりとりは電卓叩いたほうが確実だし、そもそもどうしてレジに計算させへんのやろ?と思うけど、ああ、コレがいかんのやろね。このお店のやりかたは暗算なのだ。それがこのお店の常識なんだから、それをすなおに受け入れよう。
自分のやりかたは、それはそれで認める。でも、お店のやりかたをまず優先する。どっちが正しいかどうか?を考えること自体が「批判」であり「ジャッジ」なのだ。
こういうのを心理学では「境界線を引く」という。「私」と「相手」のあいだに「境界線」を引く。その線を越えないようにする。「私は私、相手は相手」、それぞれ良いも悪いもない。各々のやりかたを尊重する。ただ、ワシは入社したての新人なのだから、当然会社のやりかたをそのままやればよろしい。
まだまだクソナマイキなババアやなあと、オノレのことを振り返る。明日からはもっと真剣にすなおにならんとな。反省点がてんこ盛りやけど、よし、また明日から気もちをあらたにがんばればいい。
「すなお」って、たぶん「相手さんを信頼すること」なんだろな。よく耳にする「ありのままを受け入れる」ってことだよね。
たかがレジ打ちでも、ワシはすぐに「批判」したくなったよ。「ワシのほうが正しいんじゃ!」って言い張りたくなった。なんぼ心理学を勉強しておっても、そんなんコロッと忘れて、また「勝ち負け」にこだわりそうになったわ。
もっとすなおに、もっと相手のコトバを大切に、もっともっと忠実に……ってことを、そうだねえ、楽譜を読むときはそう心掛けてるね。そして、ピアノの先生に対してもできる限りそうしているつもりだけど、う~ん、ホゲフガ商店で早くもマウンティングしたがってるオノレに気づいて、そこらへんもアヤしくなってきた。
ぜーんぶ共通してるもんね。だってすべてはワシの内面の投影だもんね。「マウンティングしたい」→「オノレの優位を示したい」→「もともと自分は劣っていると思い込んでる」って図式だもんね。
はあ、またまた自己肯定感モンダイになっちまったよ。
でも、いまの気もちとしては「いろんなヒトのことを信頼したい」なあ。問答無用で信じたい。ゆだねたい。ババアでも採用してくれたからウンヌンじゃなく、そういう「取引」じゃなくて、ただ目の前にいるヒトを丸ごと信じてみたい。なんかそう思えてならない。
カゼはね、きっとデトックスなんだよ。ワシの「邪心」の一部がカラダから排出されようとしてるのかもね。