北海道は、ふつうの観光地でもふつうの街でもふつうの道路でも、「北海道以外」とはまるっきりちがう。とにかくスケールがちがう。もう次元がことなる。どこもかしこも別世界だ。
で、やっぱり北海道の山も別格なんだよねえ。だからむかしはずいぶん登った。「北海道百名山」というのも選定されていて、いまざっと目を通したら48山登っていた。底ヌケのアホである。
そのなかで生涯忘れられないほどもっともうつくしかったのは、大雪山系だった。4泊5日で北上したことがある。
1日目 吹上温泉から入山…美瑛岳…美瑛富士避難小屋
2日目 ベベツ岳…オプタテシケ山…双子池で幕営
3日目 コスマヌプリ…三川台…南沼の手前あたりで幕営
4日目 トムラウシ山…化雲岳…五色岳…忠別岳避難小屋
5日目 忠別岳…白雲岳…旭岳…姿見駅へ下山
オプタテシケ山からトムラウシ山までのあいだを縦走するヒトはものすごく少ない。それでなくても、北海道の山はヒトがうんと少ない。結局、丸二日ほどだれにも会わなかった。近くにおるのはヒグマだけみたいな状態。あぶねえ。
3日目、双子池を出発したら、じきに猛烈なササヤブになる。背丈を越えるササが密生しているところをひたすらかき分けていく。コレを「藪コギ」という。別名「平泳ぎ」。いちおう踏み跡はあるけれど、周囲すべて猛々しいササヤブが覆いかぶさっており、何時間も格闘しつつジリジリと高度を上げる。
そして、急に視界が開けたところが「三川台(さんせんだい/標高1760m)」で、そこからは高山植物が咲き乱れる桃源郷が茫洋と広がっていた。
聞こえるのは鳥の声だけ、ときおりナキウサギのかん高い鳴き声が響く。見上げると雲ひとつない吸い込まれるような青空。
そんなところを可憐な花々が惜しげもなくそこかしこに咲いている。どこまでもつづくお花畠のなか、トムラウシ山めざしてひとり歩いていると魂がふぅーっと抜けちまう。至福のよろこびにつつまれる。
尾崎喜八が詩に詠んだ「あの透明な美酒のような幸福」だ。あれ以上のしあわせは考えられない。この世を去るときに走馬灯が回るんだったら、きっとこの三川台のお花畠がいちばんさいしょに映し出されるはずだ。
なので、シューベルト:楽興の時 第4番 嬰ハ短調の中間部を弾くときは、いつも「三川台のお花畠」を思い浮かべる。もう二度と行くことがかなわない、あのお花畠の幻影を追いながら弾いている。
▼シューベルト:楽興の時 第4番 嬰ハ短調 D780/4 Op.94-4
「お花畠」のところは、1:50から。もしよかったら、そこからだけでも聴いてもらえたらうれしいです。