13才の冬にピアノのレッスンをやめることになった。当時は、どうして急にやめるのかサッパリわからなかった。しかし、中学3年のときに親から「就職せえ」と言われて、ははあ、つまりゼニがないからレッスンも打ち切りになったんだなと感づいた。
中学の担任先生はいいヒトで、ワシの母ちゃんに「いまはおなごでも高校出といたほうがいい」と言ってくれて、底辺公立高校に進学はできた。しかし、体操服の長袖すら買ってもらえない。修学旅行も行けない。そんなありさまだったから、まあピアノのレッスンつづけるなんてムリだったね。
はぁい! だからオトナになってから、オノレでグランドピアノ買ってレッスンも通って、うん、満足だよっ! てか、これだけの出費をあの親に期待するほうがまちがいや。むしろ、ちっちゃいときから13才まで習わせてくれて、ほぼ毎日レコードをかけてくれて、ケンプのコンサートも1回連れて行ってくれて、それだけで十分だよなあ。
けれども、ピアノをやめて以来、ワシにとって「ピアノに関することが重大なタブー」になってしまった。とくに母ちゃんは「あんたにピアノやらすんじゃなかった」と怒りまくってて、暴力もヒドくなって、なんかねえ、ホントあのときからいろんなことがウマくいかなくなった。
いま思うと、母ちゃんはそれまで一所懸命だったんだろな。それがチャラになってしまったことを受け入れられなくて、コドモに当たるしかしょうがなかったんだろう。それでなくても生い立ちが不幸(母ちゃんの実母は家出、継母1号は虐待のち病死、継母2号は自殺)だから、コドモの扱いかたがようわからんヒトやってん。
で、ワシは「ピアノ」をかなり奥深く「抑圧」してしまった。「ピアノ=親不孝」という図式ができてしまったから、もう考えないようになっちまった。自分では気がつかなかったけどね。
しかし、どうやらワシはピアノが好きだったようだ。そういう気もちはすでに押し殺していたはずなんだけど、そう、ブッ殺したはずなのによみがえってきたんだよねえ。「好きなコト」ってしぶといのう。もう「ないこと」にしていたのに、もやもやーっとくすぶってきた。
なので、48才のときにデジタルピアノを買った。そしてバイエルを練習してみた。ああもう10年近くまえのハナシだよね。ただし、レッスンに行く気になれなかった。バイエル弾いていても手が痛かったし、独習でまあいいかと思ってた。
ワシ、独学はぜったいあかんね。結局1年4ヵ月たってもバイエル18番までしか進まなかった。いや、弾けないんスよ。痛いしー、うまくならないしー、なんとか弾けるとこまでがんばってみたけど、ホンマに18番でケツ割った。いったんデジピも処分した。
さて、52才のときにまたデジタルピアノを購入。またバイエルはじめる。こんどは3ヵ月で中断。え?なんで線香花火なんだろっ?! もはややめた理由すら思い出せない。
ようやく本腰を入れる気になったのは、去年だ。昨年3月にカウンセリングを受けて、カウンセラー先生に「いいんじゃない?やったら。某芸大も受験したら?」と言われて、へえ、そうなんやと仰天しつつもすぐにピアノの先生を探して、4月からレッスンを再開した。13才の冬から44年後のことだった。
まあ、ワシみたいに主体性のないニンゲンは「だれかに頼る」のがいちばんだねえ。カウンセラー先生がどーんと背中を押してくれたから、いまの自分があるのだ。突き飛ばされたさきでは、ちゃんとピアノの先生が待ち受けてくれていて、そのあとは課題をこなすだけで自動的に前へ進むしくみになっていた。
あのさ、独学だったらさ、永遠にバイエルとハノン1番だったのに、ふう、いまはバッハのシンフォニア弾いてるもんね。インベンションなんて半年ちょっとで終わったよな。シューベルトなんか一生弾けないはずだったのに、1月に発表会出てるわな。
なんなん? このちがいはっ?!
それこそは「専門家の力量」なんだろうねえ。ワシなんかがおこがましいけど、プロのかたがたは「ああ、こいつはこうしてああしたらこんなふうになる」と読めるんだよね。カウンセラー先生は音楽家でもあるヒトで、たぶんワシのハナシを聞いただけで、あ、音楽向いてると判断されたようだ。へええ、ワシのピアノを聞かずともわかるんだ!
ピアノの先生は、いきなりツェルニー30番とインベンションを課題に出された。それまでバイエルとハノン1番しかやってなかったから、はあ?!って思ったけど、出たモンはしょうがないから練習する。そのうち合格する。また課題が出る。合格→出る→合格→出る、の繰り返し。
すごいところに来てしまったなあと感慨深いけど、ああそうか、カウンセラー先生にもピアノの先生にも、ワシの「本当の気もち」がもしかして見えるのかもしれないね。「本当はピアノが好き」って気もちを見てくれているんじゃないかなあ。だから、「こっちこっち、この方角で合ってるよ」って導いてくれるのかな。
そして、もうひとつ大きく気づいたことがある。それは、「自分のココロの深い部分」って、「このヒトに会いに行くとウマくいく」ということをちゃんと感知しているんだよね。だから結局、「会いたいヒトに会いに行く」だけでだいじょうぶってことだね。
いろんなヒトに助けられて、そろそろ「13才の冬」を卒業できそうだ。