長年悩みつづけていた「だらだら問題」の原因がわかったため、相当腑に落ちて納得感は得られた。要するに、大むかし母ちゃんに時間無制限で甘えたかったのだ。こういうのは、非常に早い時期に思い込んでしまうものらしい。
自分で記憶している以前に形成されているとのこと。私の場合はおそらく乳幼児期なんじゃないかな? そんな気がする。直感ね。
「バース・トラウマ(出生時心的外傷)」という考えかたさえある。胎児期から出産後までに受けてしまうトラウマのことだ。心の学びをしていると、こんなふうにモノの見方の範囲がぐっと広がっておもしろい。
記憶以前の時期に受けた傷であったり、家系レベルで背負ってしまった重荷であったり、通常ではとても因果関係を見いだすことができないようなものまで範疇に入ってしまう。
もちろんこれらは科学的に証明できるものじゃない。けれども本人が腑に落ちて、ああそうだったのか!とその物語に納得できると、いま抱えている問題から距離を取れるのだ。それまでは、どうしてこうなっているんだろう?と悩むばかりだったのに、問題から一歩離れられると、それはもう解決の糸口が見つかったわけだ。
結局カウンセリングというのは、ああそうだったのか!と自分が自分に気づいて肚落ちして、そうかわかった、じゃあちょっと先に進んでみようかと動き出せるのをめざしているんだろう。
「だらだら問題」については、私自身かなり自分を責めていたな。「自分をコントロールできない」ということに劣等感を持っていた。こんなことじゃダメだといつも思っていた。
しかし「だらだら問題」の原因が、ごく幼いころの願望がモトだったとよくよくわかると、もう自分を否定しなくなった。だってそれは子どもの懸命な願いだからね。そんなの責めたらかわいそうじゃん。
ということで、こんな具合に「ちっちゃいころの自分の気もちをわかってあげる」っていうのが、「インナーチャイルドとつながる」ということになる。
「インナーチャイルドって何? よく聞くけどよくわからん」ってだれかに言われたことがあるのだが、いや私もちょっとまえまではよくわからなかった。でもいまは、わりかし明確なイメージがあるかな。
インナーチャイルドって「ちっちゃいころの自分」なんだよね。それも「傷ついた子ども」なんだ。子どもは、自分がうまく処理できない感情を味わうと、それを「感じなかったこと」にしてしまうんだよね。
たとえば、すごく悲しいとか寂しいとかつらいとかそういう出来事があると、ちっちゃい子はそれを感じないようにするんだよね。自分を守るために「なかったこと」にしてしまう。そんなふうに「ひどく傷ついて、でもどうしたらいいかわからなくて、なかったことにしてしまった子ども」を象徴するのが「インナーチャイルド」なのだ。
あ、でも、わたしがインナーチャイルドを自覚できたのは今回がはじめてだ。はは、そうかそうか。いまわかったから「インナーチャイルドはこれこれです」って説明できるんだよな。エラそうにすんまへん。
心理学セミナーやカウンセラー養成講座で解説してもらっても、自分がじっさいに体験してみないとわからんもんですなあ。「投影」もそうだね。「投影」って「自分の心の内側が外の世界に反映されて見える」ということなんだが、これもなかなか腑に落ちなかったね。
ただし、一度でも肚落ちするとそれ以降はけっこうちゃんとわかるようになってくる。先日養成講座の最終講でみんなのプレゼンを見ていても感心したのだが、みなさんちゃんと「投影」を心底理解しておられてほんと投影実例がぞろぞろだった。
だれか他人を「わがままなヤツだなあ」って思ったとき、じつは「自分がわがままだった」と気づいたとか、そんな具合におおぜいのヒトが「投影」を発表してくれたので、私もよりいっそう理解が深まったよ。
さて「だらだら問題」はインナーチャイルドをわかってあげることによりかなりすっきりしたのだが、行動を変えるまでには至っていない。「自分を責めない」のでラクになったけれども、まだまだ時間の使いかたがヘタクソだ。やらないといけないモンが山積みでどエラいことになっている。
そのなかで最優先すべきなのは、ピアノの調律だ。調律師さんが玄関からピアノのとこまでたどり着けるように床可視率を上昇させないといけない。いま部屋のなかにあるダンボールを数えたら36個だった。引っ越ししてちょうど一年たったけれども、片づける気がないといつまでたってもダンボールはそのままだ。
8月いっぱいカウンセラー養成講座はお休みになる。なのでこれまでのゼロ勉を解消すべく、本当は復習したいところなのだが、いや、待て。そんなに欲張ると結局なにもできない。
だから7月中はダンボールを片づけることにした。いま決めた。必ずそうする。行動だね。とにかく動くことだべ。