いまのパートは去年11月下旬に就職したので、9ヵ月ちょっといることになる。今日ははじめて、大きなミスをしなかった。細かいまちがいはまだたくさんあるけど、だれかがあわててフォローしないといけないようなミスはなしだった。
そんなのは、ここで働き出してからほんとにはじめてだったので拍子抜けがした。逆に、これまでは出勤するたびにわりと大きなミスをして、いつもだれかが後始末に苦労していたわけだ。それもよく考えてみたらスゴいことで、まあいつも迷惑をかけているみたいで、とにかくあやまってばかりいた。
今日はたまたま運がよかったのだろうか? それともようやく慣れてきたのか? 「慣れ」と言えるほど覚えていられることが増えたのか?
物忘れがはじまったのが48才で、それ以来仕事を覚えられなくてものすごくたいへんだ。「忘れる」ということについて、ふつうによく言われるのは「そういうことあるよ」とか「私も忘れるよ」であるが、じっさいにポロポロ片っぱしから忘れていくヒトに対しては、たいていあきられておしまいだ。
いまだにレジのキーを押す順番を覚えられなくて、毎日はじめて見る機械になってしまう。毎日さわる電気スイッチの位置も忘れる。自分のロッカーの場所もどこだったかな?と名まえシールを探す。
ひとつひとつの動作にワンクッションはさまって遅くなっていく。しょっちゅうやる作業でもメモを見返さないとできない。なにかの手順を覚えてすーっとできる状態にはならない。
そうそう、このブログへのメッセージで「春子さんは発達障害ではありませんか?」と、たぶん数十通ほどご連絡いただいたが、そう考えたあなたの見立てはお医者さんとおんなじですごいね。
去年物忘れ外来を受診したとき、精神科医の先生は「いまお話をうかがったかぎりでは、発達障害かなと思われます。けれども、認知症のくわしい検査をひと通りしたあとに診断いたします」と言われ、最終的には「認知症でも発達障害でもありません。治療の対象にはなりません」となった。
それならいったいこの症状はなんなんっ?!と叫びたくなるのだが、そもそも若いころは「なにかを忘れて困る」という経験がなかったので、自分ではやっぱり老化の一種に思えてならない。
ただときどき思うのだが、発達障害のヒトたちが小さいころからずっとこんな苦労をするというのなら、それはものすごいストレスだよねえ。学校も行きたくなくなるんじゃないか? 会社だってこんな毎日がつづくんだったら「自分はダメだ」と思い込んで絶望するんじゃないか?
私は、高校を出たあとに就職した会社では「高卒のわりにはマシ」という感じで勤めていた。先輩さんからていねいに教えてもらったことは、その場ですぐに覚えられた。むかしの会社だからのんびりしていてそんなにむずかしい仕事はなかったし、なによりも「仕事が覚えられない」と悩むなんていちどもなかった。
だのに、もう9ヵ月も針のむしろである。覚えるはしからばっさり記憶をうしなう。毎日「あたらしい責め苦」がやってきて、毎日これはなんだろう?と考え込む。
けれども、今日は奇跡的に「凪」の日だった。そういえば、むかしはこんな日が毎日で、いやもっと自動的に手が動いて、早く夕方にならないかなあと思っていた。まあ、ラクに仕事してたけど、べつに好きでやってたわけじゃないしね。
ほんとはどうしたかったんだろう?
ほんとは、そういまもほんとはどうしたいんだろう?
先日カウンセラー養成講座で、自分が「ほんとは、父ちゃんに対してものすごくハラが立っていた」と気づいて仰天した。子どもは親に怒れないからね。「怒り」を感じてもそれを「抑圧」してしまう。「なかったこと」にしてしまう。
でも、感情はなくならない。そのとき感じ切れなかった感情は「未完了の感情」として、ずっと押入れのなかに潜んでいる。しかも腐敗してくる。ちゃんと感じてあげないかぎり感情は成仏しない。
もしかして、私はいまも「なにかを感じないようにしている」のだろうか?
そうかもしれない。
いまのパート、ほんとは行きたくないのにガマンしている。「辞めたらいけない。辞めたらつぎの就職先がなくて困るし、だからイヤでも行かないといけない」って思い込んでいるなあ。
そんなに毎日忘れてあやまりつづけて冷や汗かいているんなら、べつに辞めてもいいのにね。
それが「自分を大切にすること」なのかもしれない。