さあ、ブログを書こうとおもったら、ふいに服部幸三さんの声を思い出して、そのバッハ愛に満ちた語り口がよみがえって泣けてしまった。中学高校のとき、FMラジオで「バロック音楽のたのしみ」という番組があって、服部幸三さんはその解説者のひとりだった。
皆川達夫さんもよかったけど、私は服部さんのあたたかく、そして音楽をいつくしむような話しぶりがとても好きだった。「バロック音楽のたのしみ」は、父がくれたモノラルラジオにイヤホンをつないで聞いていた。
音量調節のできない安物ラジオは、イヤホンの音が大きすぎたので、セロテープを3枚重ねて貼ったらちょうどいい音になったものの、セロテープのでこぼこで耳の穴がかゆくなる。なので、いまでもときどきバロックを聞くと、ひょいと耳がかゆくなるような気がする。
さっき涙が出てきたのは、寂しくてやるせない気もちを、そういえば服部さんがなぐさめてくれたんだよねえと気がついたからだ。
中学1年のとき、お金がないのでピアノをやめないといけなくなって、なんかどうしたらいいのかわからなくて途方に暮れていた。中学高校のときがいっちゃんしんどかった。でも、よく考えたら服部さんにすごくなぐさめてもらってたんだよね。
その服部さんが畏敬の念を込めて解説していたからバッハを好きになったのかな。うちの親はぜんぜんバッハを聞かなかったから、私は服部さんのおかげでバッハをたくさん聞くことができた。ラモーやテレマン、ヘンデル、スカルラッティ、リュリも自然に聞き覚えた。
なので、ああそうか、あのいちばんしんどいときを服部さんとバロックが支えてくれたんだなあと、いまごろになって気づいた。
でもまあ、服部さんだけじゃなくて、ほかにいろんなひとも私を助けてくれたはずなんだよね。たぶん多くのひとが手を差し伸べてくれたはずだ。
けれども、私はそのすべてを払いのけてしまったんだろう。きっとそうにちがいない。なにせ怒りつづけていたので。スネてヒネくれていたんで。手負いのノラ猫みたいに年がら年中シャーッてやってたんだよね。
で、ソレをいまもやってるとようやくわかった。
うおおおーっ! 私はずーっと怒っているぞぉーっ!ってわかって、感激した。そいで、毎日ソイツをひねくり回していたのだが、だんだん「怒り」ってなんなのかわからなくなってきた。
「怒り」って、地中からマグマが噴出するようなエネルギーを持っているけど、えーっと、そのエネルギーに「怒り」というラベルを貼るだけでいいんだろうか?
まるで飛行機が離陸するときのように、グオーッと加速していく爽快感すらともなっているこのエネルギーを、ただ「怒り」と呼ぶだけで合っているのか?
なんかちがうんじゃねーの?って気がしてきたのだ。
リミッターをはずしたら出てきたこの「エネルギー」って、うむぅー、まあつまり「生命力の発露」かねえ?
なかなか多方面の可能性を秘めているようで、じゃあとりあえずカゴに入れといて(入りそうもないけど)、エサと水やって(そんなんじゃ足らんと思うけど)、育ててみようか。