「リーダーシップってなんでしょう? みなさん、考えてみてください」と、以前どこかの心理学セミナーで聞いたことがある。だいぶん前なのでウロ覚えだけど。
それまで私は、「リーダーシップ」ってのは、なんかちょっとエラそうにしている「上のひと」みたいなイメージしか持っていなかった。リーダーシップ取ってるひとに、ああはいはい、その通りにしまっせって唯々諾々としているのが私さ。
けれども、心理学でいうところの「リーダーシップ」はそんなのじゃなかった。
たしかに主導権はにぎる。しかし、その主導権で持って、たとえば「機嫌を損ねているひとを→とてもいい気分にさせる」とか、「やる気のないひとから→行動力を引き出す」とか、そういう「お互いにとってプラスになる変化」をみずから積極的に促すことが「リーダーシップ」だった。
それ聞いたとき、いやあ、すごいもんだねえってほとほと感心した。ふつう心理学では「相手を変えようとしない」というのが鉄則なんだけど、そうか、相手が持っている宝物を「ほら、持ってるじゃないですか」って気づかせる働きかけはすばらしいなあ。
じゃあ「リーダーシップが取れないひと」ってどうなのか?というと、「機嫌悪いヤツがいたら→こいつ、感じわりーな」「やる気ないヤツ見たら→おら、なにやっとんねん、ボケ」……なんかエラいことになるなあ。双方とも具合悪くなってる。
これって結局「リーダーシップ取れないひと」って「相手に巻き込まれる」ということだそうだ。相手の機嫌が悪いと→イヤな気分になる。やる気ないヤツ見ると→イライラする。という反応が起きるひとは、逆に、相手の機嫌がいいと→いい気分になる。やる気のあるひと見ると→自分もやる気が出る。
ほらあ、相手の態度次第で「自分の気もち」が変わっているでしょ? こういうのを「リーダーシップ取れていない」、別名「他人軸」というそうだ。相手の言動に振り回されている。それってまさに私じゃん。
まあ、私の場合自分がぜんぜんやる気ないから、やる気ないひと見たらほっとするけど、それも「ほっとする」とちゃんと反応してしまっているから、やっぱり軸がー、他人でー、ま、根っこには「やる気がないのはいけないことだ」というビリーフ(思い込み)をあるからだよね。
ただでも、ここしばらくのうちにちょっと変わってきた。それは、「いま自分が感じている感情に気づける」ようになってきたということだ。
そのきっかけは「身体にどういう変化があらわれているか?」をしょっちゅう意識することだった。そもそも「感情」は「身体の反応が先行」していて、その身体の状態を「怖い」「悲しい」「うれしい」という名称で呼んでいるにすぎないらしい。
先日堀江さなえさんの個人セッションを受けたとき、「感情は、皮膚感覚とも言われるし、筋肉に溜まるとも言われていますよ」と興味深いお話をうかがって、以来本気で、いま身体はどうなっているかなとウォッチするようになった。
あ、いまなんか「気分が揺らいだ」なあと思ったら、う~ん、身体はどうだろう? 胸がつかえたような感じがあるな。あ、肩に力が入って上がっている。息は浅いな。なるべく細かく観察していると、なるほど、その身体感覚を私は「怒り」と感じているんだなあとわかったりする。
まあそしたら、イヤらしいことにげんなりするけど、私は年がら年中怒っているし、ヒネくれているし、スキあらば他人を攻撃してるし、冷たいし、あせってるし、イラ立ってるし、やる気ないし、ほんとダメだし、そんなのばっかりだ。
ということで、私は「リーダーシップ」なんてモンから100億光年ぐらい遠ーいところにおるなあってのは、よくわかってきた。「感情を感じる」というよりも「いま身体はどんな状態になっているか?」を観察することで、自分がいかにドス黒い感情におおわれているのかすごくわかってきた。
けれども「観察」のクセをつけたおかげで、感情とのあいだにちょっと「距離」が取れるようになった。へええ、いままた怒っとるやん!って驚けるようになってきた。どんだけ怒ったら気がすむねん! まだやっとるな、おもろいな、こいつって見られるようになってきた。
リーダーシップははるかかなたにあって、私にはまったく無縁なのだが、でもその星の輝きは見えている。その輝きをほんのわずかでもピアノに込められたらいいなあと思っている。