このところしょっちゅう「落雷」に見舞われている。ええと、ココロの界隈で言われる「気づき」ってやつね。
「気づき」がもたらされるたびに「本来の自分」に近づく。そうすると、自分がほんとうにやりたいこと、やりたくないこと、好きなこと、嫌いなこととかがどんどん明確になってくる。
で、じゃあこれからの人生、どんなふうに生きましょうか?ってのが徐々に見えてくる。
なので「落雷」はたいへんありがたい「お告げ」でもあるけど、こう頻繁に落ちてくると、はあ、さすがにしんどいかのう。ココロの奥深くで改変が行なわれているときって非常に疲れる。地下であらかたエネルギーを消費してしまうらしく、日常生活まで供給できなくなる。
するとだね、衣食住がわやくちゃになるのう。床可視率が急低下して、床見えてる部分は50%かね。ゴミ出しもぜんぜんできず。風呂も入れず。洗濯できず。メシの回数も減る。あといっちゃんヤバいのはピアノの練習時間も激減しとる。
なんかドタマんなかがわぁ~~~っと攪拌されていてずっと落ち着かない。ぐしゃぐしゃ。ぼーっとしっぱなし。たまに起業のことが気になるので検索するのだが、するとこんどは不安がぶわーっと湧いてきていっそう具合悪くなる。
という最中に、カウンセリングの自主トレをズームでやってもらった。でも、ふしぎなことにわりとウマくいったんだよね。自分がクライアント役のときもカウンセラー役のときも。
クライアント役をやったとき、さいしょのうちは自分の脳ミソがモロ反映されてとっ散らかっていたけど、王道のビリーフ「私は愛されない」を主文にしてビリーフリセットワークをしてもらったら、あららー、最後はすがすがしい解放感がおとずれたわあ。
このところ「ココロの穴は自分で埋める」「他人に穴埋め強制労働させない」キャンペーンばっかしやってたけど、「〇〇してはいけない」「そんなんダメじゃん」とかからも解放された。
●自分が愛する対象は、まず「自分自身」なんだなあ
●他人が私を愛するかどうかは、そのひとの自由だよね
●だれかが何分間私の話相手になるかは、そのひとの自由だし、足りなければ私がお願いしたらいい
こんな思いが気もちよくふわーって湧いてきた。
最後の「何分間」ってヘンでしょ? 私はどうも「時間」にこだわりが強い。「だれが何分間自分に興味を持ってくれるか?」とかよく思うんだよね。
さすがに時間は計らないけど、たとえばセミナーの受講生さんと話をしていても、「この数分間は私の相手をしてくれるけれど、そのあと、このひとのアタマのなかから私は消え去る」と思ってすごく寂しくなっていた。
まあ、これも母ちゃんの機嫌に由来する。このひと、だいたい365日怒りつづけていたが、ごくまれに機嫌がいいときもあった。ただしほんの数分だけ。その数分がものすごくうれしいものの、なにせあっという間にまた機嫌が悪くなるから、なんか「どのぐらいもつかな?」ってハラハラし通しだった。
だもんで、私のココロには巨大クレーター並みの「穴」ができちゃったが、ビリーフリセットしてもらったら、はれ? べつに穴じゃないかも?ってとこに行き着いた。
そして、私がカウンセラー役をやってみてもまずまずだった。ふしぎー。相変わらずぜんぜん勉強しとらんのに。
ただ、私ってどんどんすなおになれてきたんだよね。このごろようやく「スネるのをやめる止めかた」がわかってきた。わりと細かく自分の気もちをチェックして、「これはスネだろうか? それともホンネだろうか?」と判断できるようになってきた。
そしたら、カウンセラー役やっているとき、クライアントさんにすなおーについていけるようになってきた。ふうん、そうなんだあってそのひとの心の動きをほわーっと眺めていられるようになってきた。なんか見てるだけっぽい。
それでいて、なんとなく「言ってみたいこと」「質問してみたいこと」が降ってくる。それをクライアントさんに伝えてみると、わりと「そう言ってもらえてよかった」って、あとでフィードバックしてもらえたりする。いやあ、こんなのはここ最近になってやっとだから、ほんとうれしい。
結局のところ、「スネるのをやめて、ただすなおになる」ということだけでよかったんだね。