「天職」が見つかった|この仕事をやるために私は生まれてきた

仕事に費やす時間ってものすごく長いから、そうだなあ、高校生のころから「やりがいのある仕事につきたい」と思っていた。仕事を生きがいにしたかった。

それから40年経過した。しかし結局、最低賃金のパートを転々として、どこの職場でも使いモンにならなくて、針のムシロというありさまだ。

まあ、こうなった理由はわかっている。「親」でございますよ。毎度おなじみ、おやおや、やっぱり「親」ですね。(スベッてるな)

「親に対する復讐」として、私は永遠に「仕事がデキない劇場」で演じつづける。ふう。

しかし、だ。さすがに考え直すことにした。

まず「自分に向いている仕事がある」なーんて幻想だと気がついた。


わりとひとから言われるんだよね。「それ、向いていないんじゃない?」とか「向いている仕事を探したほうがいいよ」とか。もちろん私自身もずっとむかしから思っていて、あかんと感じたらすぐ辞めて何十もの会社に勤めてみたけど、どれもダメだった。

でも、それって会社がダメなわけでもなく、向き不向きでもない。

「どこ行ってもダメ」だったら、そりゃあ「おまいがおかしいだろ?」
そう、本人にモンダイがあるわけだ。で、その大元が「仕事全滅→親に見せつける→親に復讐」というカラクリね。

なので、「そもそも『親に復讐』はもういらねーだろ」といっちゃん根っこを撤去作業中である。


そしたら、このごろちょっと思うんだけど、どういう仕事でも「天職」なんだろうねって。

つまり、いまのパートも「あ、これが天職なんだな。そういうご縁をいただいたんだな」ってパチッと照準が合ったら、ほんと「これこそが私の役目なんだ」と気がついて、もっと仕事に邁進できるはずなのだ。

しかし、そういう肚づもりをしたとしても、たぶん仕事がデキるようにはならないだろう。でも、その「デキないまま」で「いつも叱られるまま」で、それでもしぶとく食らいついていくかどうか、それでもあきらめずにつづけるかどうか、そこらへんがキモなんだと思う。

だから、就活はやらないことにした。

いまのところを正式にクビになるまでは、「この仕事が天職だ」と思ってせいいっぱいがんばることにした。


「天職」なんだから、神サマから試練を与えられて当たり前だ。その壁を乗り越えてでも、おまえ、やるか?って訊かれるよね。

「それでも、やります。がんばります」と答えたい。

それは「親から卒業するため」でもある。

いまの仕事は親が選んだんじゃない。私が、自分でハローワークで選んで、自分で応募して、そして採用されてうれしかった仕事だ。

自分が選んだ仕事なんだから「天職」のはずだ。

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